すでに卒業のシーズンだというのに、列島を襲った寒気と低気圧のおかげで、このところの天気は大荒れだった。こちらでも雪が降ったが、鎌倉の鶴岡八幡宮では、樹齢千年を超える銀杏の巨木がおりからの強風で倒壊したという。
この巨樹には、鎌倉幕府の三代将軍実朝が兄頼家の子、つまり彼にとっては甥にあたる公暁に暗殺された事件で、犯人の公暁が身を隠していたという伝承があるそうだ。天下を揺るがしたこの事件について、比叡山の座主、慈円は次のように書いている。
夜ニ入テ奉幣終テ、寳前ノ石橋ヲクダリテ、扈従ノ公卿列立シタル前ヲ楫シテ、下襲尻引テ笏モチテユキケルヲ、法師ノケウサウ・トキント云物シタル、馳カゝリテ下ガサネノ尻ノ上ニノボリテ、カシラヲ一ノカタナニハ切テ、タフレケレバ、頸ヲウチヲトシテ取テケリ。ヲイザマニ三四人ヲナジヤウナル者ノ出キテ、供ノ者ヲイチラシテ、コノ仲章ガ前駆シテ火フリテアリケルヲ義時ゾト思テ、同ジク切フセテコロシテウセヌ。(中略)
此法師ハ、頼家ガ子ヲ其八幡ノ別当ニナシテオキタリケルガ日ゴロオモイモチテ、今日カヽル本意ヲトゲテケリ。一ノ刀ノ時、「ヲヤノ敵ハカクウツゾ」 ト云ケル。公卿ドモアザヤカニ皆聞ケリ。カクシチラシテ一ノ郎等トヲボシキ義村三浦左衛門ト云者ノモトヘ、「ワレカクシツ、今ハ我コソハ大将軍ヨ、ソレヘユカン」 ト云タリケレバ、コノ由ヲ義時ニ云テ、ヤガテ一人、コノ実朝ガ頸ヲ持タリケルニヤ。
公暁に実朝のことを親の仇と吹き込んで、暗殺をそそのかしたのは、彼の乳母の夫である三浦義村だと思われるが、頼家が将軍引退後に修善寺で暗殺されたときには、実朝はまだわずか十二歳であるから、とても事件の黒幕であったはずはない。実際の黒幕はむろん北条氏、具体的には政子の親父であり、つまり頼家にとっては母方の祖父になる北条時政だろう。
公暁は実朝よりさらに年下であるから、事件当時はほとんどなにも知らなかったはずだ。とはいえ、それから十年以上たった実朝襲撃の時点では、ある程度の真実は知っていただろう。実際、このとき公暁は、実朝に随行しているはずの北条義時の首もとるつもりで、源仲章という別人を殺害している。なお、『吾妻鏡』 によれば、このとき義時は事件現場のすぐ近くまで来ていながら、不意に気分が悪くなり、自分の役を仲章にゆずって引き返したという。
おかげで、義時は事件に巻き込まれずにすみ、かわりに源仲章なる人物が間違って殺されることとなった。実朝の首を取った公暁は、次はおれが将軍だと豪語して、信頼していたらしき三浦義村に使者を送る。報を聞いた義村は、すぐに迎えをよこすと答えながら、裏では義時にその旨を通報し、義時の命を受けて、迎えではなく公暁を討つよう配下に命じて送り出す。
結局、公暁は迎えを待たずに、実朝の首をかかえたまま義村の屋敷へ向かうが、途中で義村の討手と出会い、奮戦むなしく、中へ入ろうと義村の屋敷の塀によじ登ったところを討たれたという。慈円はことの顛末を、「頼朝は優れた将軍であったのに、その孫になるとこんなことをしでかすとは、武士の心構えもできていない愚か者よ」 というような、辛辣な言葉で締めくくっている。
唐木順三は 「実朝の首」 という文の中で、義村が公暁をそそのかして実朝と義時を討たせようとしたものの、義時生存の報を聞いて、急遽寝返ったのではと推測している。しかし、北条にとっても、実朝の殺害は以前からの既定路線であったのだし、この義村という人物、その前の和田一族が討たれた事件でも、盟を結んでいた義盛を裏切って、義時に通報している。なので、公暁は最初からただ踊らされていたに過ぎないのでは、という推測も成り立ちそうである。
翻ってみるなら、最初の武家政権である平氏政権が、清盛という卓越した個人を中心としながらも、一門としての基盤をもった権力であったのに対し、頼朝の権力は、平安以来の歴史を持つ関東武士団を軸にし、それを束ねることで成り立ったものであった。頼朝が伊豆に流されたのは十三のとき、以来二十年も関東で暮らしていた頼朝は、源氏の嫡流であり、父義朝ゆかりの縁はそこそこにあっても、ほとんどただの亡命者にすぎない。
しかし、将門以来、離合集散がたえず、しかも遠く離れた京の政治などにはさして関心もないような関東武士団を、朝廷に対抗するひとつの権力にまとめあげるには、北条だの畠山だのという個々の豪族すべての上に立つ 「象徴」 としての人物が必要であった。それはむろん 「貴種」 の血を引くものでなければならなかった。
しかしながら、いったん制度ができてしまえば、トップに立つのは本当にただの 「象徴」、つまりは 「傀儡」 でいいということになる。とりわけ、しだいに他の御家人を排除して、幕府内での独裁的地位を固めつつあった北条氏としてはそうだろう。北条氏から見れば、頼家は頼朝の息子というだけでのぼせ上がったわがまま小僧であるし、京に憧れる実朝は、独自の権力たる関東武士団の存在を危うくしかねない困り者ということになる。
結局、この事件以降、将軍は京の摂関家や皇族から次々選ばれることになるが、いずれも右も左も分からぬ幼いころに将軍に任じられ、成長するや、ことごとく罷免されて京へ送り返されるということが繰り返されている(参照)。これは、平安時代の摂関政治や院政における幼帝の擁立とほとんど同じである。
つまるところ、いったん権力が創設されると、そのトップの地位はしだいにただの 「象徴」 と化し、実権はナンバーツーに握られるというのは、どうやらこの国の政治の古きよき伝統なのらしい。そして、ナンバーツーも無能であるなら、権力はやがて下へ下へと移行し、権力装置そのものの拡散と解体にいたる。それは、戦前や戦中の政治過程でも見られたし、小泉退陣後の自民党政治にも、ある程度あてはまる。
さて、宇宙人と称し、意味不明の宇宙語をしゃべるらしき現宰相のほうはどうなのか。基地移設をめぐる発言にしても、朝鮮高校に通う生徒への学費援助をめぐる発言にしても、あっちに引っ張られ、こっちに引っ張られでくるくると変わっており、一貫性にも合理的根拠にも欠けている。だいたい、拉致問題担当相とかが、どうしてこの話に首を突っ込むんだ?