泥縄の勉強?
ぽん太が,もう英語がわからないと行ってきた。いろいろな科目にはそれぞれ特有の勉強方法がある。そこで私がみてやった。まったく英語の勉強の方法を知らない。だから英語がわからないというのは理由がある。ところで,私にとって英語の発音は鬼門であった。思い出せば,私の中学の最初の英語の授業は,社会の先生が担任だった。今から思うと英語を専門にしていない先生から英語を教わったことは,大変不幸なことであった。その後,発音について特段注意することなく,英語を勉強してきたのである。英語を日本語の延長線で理解してきた。英語の試験は私たちのころはペーパー試験だったのででたらめな発音でもなんとか英語の試験などをクリアーしてきた。しかし,我が家の中3の長女,中1の長男の英語を聞くたびに大変ひどい発音である。おそらく私の中学の英語は,我が家の子どもら以上にひどいものだったろう。私が英語の発音,イントネーション,フランス語でいうリエゾンを意識したしたのは子どもの習い事の体験を通じてのことである。例えば,同じ旋律のようでも,先生と我が子とは違うのである。私にはその違いなどたいしたことではないと思っていた。しかし,レッスンは,その違いを埋めることに時間の大半が費やされる。私の発音は,全く矯正される機会はなかった。しかし,音楽のレッスンのように,初期段階で矯正されていたら,発音に自信をともなった英語が身についたと思う。そんな思いを秘めて,人の発音等矯正できる能力はないのであるが,子どもたちの発音を気がつけば,私の発音の悪いのを棚に上げてしつこく矯正している。・・・・・・長女は以前から,2年生の3学期の期末試験の理科がわからないといっていた。私は理社には自信があったので,私が教えてやるといって,参考書を買ってきて勉強した。問題を解いてみた。全問正解を出すことができなかった。それから大分時間が経過した。たまたま,私の仕事場の事務さんは,高校の化学の教員免許もある人なので,私が能力的に教えられいないことを話したところ,教えて頂ける内諾を得た。そんな根回しをし,今日は,長女が自宅まで,質問に行った。学校の先生以上にわかりやすく,全部わかったといって帰ってきた。「もう,理科は心配ない!?」と得意気な顔だった。長女は,学校の先生は忙しくしているので,なかなか質問ができないようだ。長女は,学校の先生にも質問するが,どうしても先生の都合で,できないとき,また事務員さんの家に質問に行きたいといっている。