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カテゴリ:沼田・小早川家領の原風景
瀬戸内海の美しさに感動していると、うしろから学生たちの歓声が聞こえます。 その声につられて後ろを振り向くと、真正面に、小早川氏の本拠地であった高山(たかやま)城と、その城下の光景がとびこんできました。 中国山地の山々が壁のように横たわるその手前、画面右側に、頂上が平たい台形状の山がみえます。 これが高山城です。 標高は190メートル、比高(地上から最高地点の郭までの高さ)は180メートルあります。 応仁の乱では、竹原の小早川弘景を主力とする西軍方の国衆が、この高山城を包囲し、激しい攻防戦が繰り広げられました。 高山城が恒常的な城として築かれたのも、このころのことでしょう。 いまは開発が進み、塔ノ岡とよばれる山腹一帯にまで住宅が建ち並んでいますが、かつては、山の麓に城下が広がっていました。 現在の三原市本郷町です。 画面を少し拡大してみましょう。 少しわかりにくいかもしれませんが、その高山城の前面から左側にかけて、大きく曲がりながら沼田(ぬた)川が流れています。 高山城の対岸(左側)に、急な斜面をもつ山がみえます。 これは、小早川隆景が新たに築いた雄高山(おだかやま)城です。 新高山(にいたかやま)城とも呼ばれています。 標高は196メートルあり、高山城よりもわずかに高いのですが、比高は180メートルとほぼ同じです。 内部は大きく5つの郭にわかれ、石垣の跡もみられます。 雄高山城を見ずして戦国の城を語るな、そういっても過言ではないほど、すばらしい造りをしており、城好きのかたは、必見です。 23日に紹介した小泉氏の上野城も、画面の右下に見えます。 高山城と雄高山城が見える !!! 城下の地形がよくわかる !!! もうそれだけでも、小早川氏の研究者にとっては感動ものです。 小早川一族の小泉氏も、龍泉寺に登っては、この景色を見ていたことでしょう。 いま高山城や雄高山城に登っても、瀬戸内海は、ほとんど見えません。 しかし、この白滝山を中継点として利用すれば、瀬戸内海の島々への連絡も、容易でした。 白滝山の存在は、小泉氏のみならず、本家の小早川氏にとっても、重要な場所だったのです。 白滝山は、小早川領を一望できる、絶好のビューポイントです。 機会があれば、ぜひ登頂して、雄大な景色をお楽しみください。 ただし、柵などはありませんから、あまり前に出すぎると、崖下に転落します。 あしもとは、くれぐれもご注意を。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.10.25 15:11:00
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