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カテゴリ:終活と断捨離
(注)6年前の2018年の明日、1月5日に書いた記事。
当然、家族仲も良いとは言えなかったのだが、だからこそ、彼女は早くから人生設計が立てられたと言う。 「うちの両親みたいな家庭を持つのはごめんだとの思いが小学生の頃からあり、では、そうするためにはどうしたらいいか、子どもなりに考え、情報を集めていた」。 彼女が得た答の一つが、自分もずっと収入を持ち続けること。 「母が父にあんな仕打ちをされても我慢したのは、率直なところ、一人では生きていけなかったから。じゃ、旦那がいなくてもやっていける仕事を持ったらええねん」。 こうなると、進学先や就職先も具体性を持って選ぶことが出来る。さらに、それに付随する諸々の要素(学費やどんな勉強をすればよいのか、など)、ひいては共働きを続けるための条件(配偶者となる人の職業や性格、物事への価値観、等々)も。 すなわち、彼女は、不仲だった両親を反面教師として自分の人生をデザインしたわけだ。 それも、現実をしっかり踏まえて。 これって、エンディングノートのスピリットと重なるよ。
「母も、人生の節目に自分を見つめ直す機会をもうけたら、余生はかなり変わったと思う」 との語り。 「そりゃ母も含めたあの年代の人は、個人の好き嫌いに関係なく、親に見合いを強制された結果イヤとは言えず嫁いで、そのままきた人が珍しくない。そういうのも理解した上で、やはり、、、ね! 父も晩年はおとなしくなっていたし」。 彼女は、病気で身体が不自由となった結果、特別養老院に入れられ一度も妻(同級生のお母さん)の面会を受けなかったお父さんも可哀想だけれど、それと同じくらい最後の最後までお父さんを許すことが出来なかったお母さんも可哀想だと顔を曇らせた。
気持ちはとてもわかる。
エンディングノートは、死に支度ではない。 「人はいつか死ぬ」ことを意識した上で現実を見つめ、そうだからこそ出来る新たな「始まり」ノートであり、それは、自分ないし他人への「許し」ノートでもあるのでは?
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最終更新日
2024.01.04 14:48:09
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