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カテゴリ:家族
母から「もう、私の子どもでも何の関係もない!あんたとは縁を切ったから」と言われて2年の月日が流れた。
世田谷の叔母や埼玉の叔母が母の近況を教えてくれることは感謝しているが、叔母たちにも娘さんが居て自分が病気や困った時に娘に助けてもらえるかどうか分からないから、姪である私のような娘が欲しいと母に話したことが何度もあると聞いた。 母の返事はいつも決まっていた。「あの子は外づらがいいだけ!騙されちゃダメよ。親に感謝なんてするもんですか。」 これを何度も聞かされた叔母たちは呆れてしまい、私に伝える時は 「まだまだあの人は元気だから大丈夫よ」と言う。 週に1度のデイサービスを心待ちにし、中心的存在で楽しく過ごしている母を想像しながら「世間体を気にするのは母のほうだな」と思う。 2年前、父が入院していた一ヵ月半の間、わが家の一番広い部屋を母に提供し、「何もしないでいいからね。欲しいものがあったら言ってね」と言った途端に 「あれも・・・これも・・・」 親だから当たり前、そんな考えがまかり通ると決めて掛かる母の本質を知ってしまった。 私のタンスから自分が気に入った洋服を「これ、頂戴」と何着も欲しがり持って行った母。 単純な私はその洋服たちが今、母のお付き合いしている方々へ渡っているとは知らず・・・ 母の考え方の狡さに戸惑いを隠せない。 妹と話しながら分かったことが沢山ある。 妹には出勤前に電話をして 「アレが食べたいから、送ってきて頂戴。仕送りは構わないけれど500円玉貯金を始めたから500円玉が集まったらお母さんに頂戴ね」 そんなことを言ってくるので電話が鳴るたびに胸が痛くなったと聞いた。 そして決め手はこうである。「長女のくせにあの子(私のことである)は親にタカルのよ。いつもお金がない、お金がないって言ってきてね・・・子どもがいるんだからお金が掛かるのはわかるけれど、あんたはあの子みたいにならないでよね」 妹にすれば私への軽蔑は増していくだろう。母の言葉を鵜呑みに信じていたようだった。 私たち姉妹の知らないところで姉妹の絆はぼろぼろになりつつあり、それが母の仕業だったなんて情けないことだ。 世の中には色んな親子関係があると思うが、敢えて私はこの母を最高の反面教師として感謝している。 憎しみは・・・ない。私をこの世に送り出してくれたことに感謝している。母との親子関係は事実であるし、逃げることはしない。それに私は今、幸せを感じられる日々を過ごしているのだ。母が哀れでならないと思うこともしばしばである。 母の余生が穏やかであることを願っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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