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6月7日の朝にいきます

6月7日の朝にいきます

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2024年02月08日
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カテゴリ:母との確執
​​​​自分では見ようと思わなければ目に入らない箇所だが、
私には右ひじの外側に、500円玉より大きな痣がある。
今はもう薄くなっていて、自分で確認してみても、まったく気にならない範囲ではあるが。

この痣は生まれつきなのか、それとも小学生だったあの日にできたものなのか・・・。

小学校2年の終わり頃だったか3年生になる前の春休みだったか、私は自分の部屋で勉強をしていた。
母が入ってきて(何の話だったかは覚えていないが)私はその際、母の言葉に逆らった(らしい)。

母は怒り、勉強机と椅子の間に私の右ひじを挟み、力いっぱい椅子を押した。
とても痛くて大泣きしたのは覚えているが、その時に痣ができたのか、
たまたま生まれつきあった痣を直撃されたのかは解らない。

とにかくその時に、私は右ひじの痣を自分自身では初めて認識した。

その年の夏休み、いつものように私と妹は母の里帰りに連れられ、奈良県の母の実家に行った。
その際、母の8歳下の弟(長男)が目ざとく私の痣を見つけ、こう言った。
「順子、なんや、これ? こんなんがあったら嫁に行けへんで」。
まだ8歳の子供だった。だからその話を真に受けた。

私はお嫁さんになれないんだ・・・悲しかった。
そんな時でも母は、私をかばってはくれない。
それどころか「あら、こんなところに? 気が付かなかったわ」のひと言。

真夏でも長袖を着せた方がいいと、母のきょうだいたちは口々に言ったから、
当時は、女の子の体に痣があるのは、ひどくネガティブなことだと思われていたのだろう。

母は毎年の夏の里帰りをとても楽しみにしていた。
姑と離れ、慣れ親しんだ家族と過ごす1週間から10日の日々は、十分に休息ができたのだろう。
私も、いとこたちと会って遊んだり、奈良や近郊の親戚の家を廻るのは楽しみではあった。
田舎の景色は珍しく、知らないことをたくさん知れるのも、嬉しかった。

でも、やはり母や、母方の祖母、そしてこの母の弟だけは馴染めなかった。
母と性格がそっくりだったからだ。

母方のきょうだいたちの何人が現在も存命なのか、私は知らない。
ただ私には優しかった母のすぐ上の伯母さんは、アルツハイマーを患い、
施設に入った後、彼岸の向こうに渡ったと、何年か後に知らされた。
一緒に旅行したこともある伯母なのに、亡くなったことを母は知らせてくれなかった・・・。

(次の次あたりに続く)






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最終更新日  2024年03月22日 14時36分07秒
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