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6月7日の朝にいきます

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2024年02月14日
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カテゴリ:母との確執
​​​​前々回のblog、右ひじの痣のことを書きながら、思った。

私が母から「醜い顔ね。よくそんな顔でおもてを歩けたものね」
そう言われたのは、小学校の3年生の時。
右ひじを勉強机と椅子の間に挟んでひねった事件も、小学校2年の終わりか3年生の直前。

それまでは、母は箸の上げ下ろしや畳のへりを踏まないよう等、しつけには厳しかったが、
虐待と言えるほどの体罰や暴言はなかったように思う。 私が覚えている範囲では。

3年生になる前、2年生のいつだったか、母は実家に数か月間戻ったことがあった。
職員室で先生から「お母さんが家にいなくてもよい子にしているように」と言われた。
その時の担任の顔を今でも覚えている。

後に父から聞いて判ったことだが、母はいきなり喘息発作を起こし、病院に通ったものの原因が判らず、
「もしかして嫁姑の問題で精神的に参ってしまっての発症かも」とかかりつけ医に言われた結果だった。

奈良の実家に戻ると同時に、母の喘息はすっかり成りを潜めたそうで、
やはり祖母との確執が原因で、体に変調をきたしたのだろう。
私が夫の女性関係に悩みに悩んで、同じく喘息を発症したのと同じように・・・。

やがて母は戻ってきたが、喘息はすぐに再発した。
私の喘息はあまり咳を伴わずに喘鳴が続くが、母のそれは咳がひどい。
布団に入ってコンコンと、ずっと苦し気にしていたのは覚えている。

そうか、積もり積もった姑への反発の気持ちが喘息発症に繋がり、
多分、そこから姑にそっくりな私への憎しみへと変換されていったのだ。
「醜い顔。おばあちゃんに、そっくり!」と言うようになったのは、ちょうどその頃からだ。

この年齢になって、なんとか母を赦そうと、こうやって考え続けている。
どんなことにも理由があり、中には理不尽にも、自分ではどうしようもないこともあるだろう。

でも、でも、やはり私は思ってしまう。
辛かったんだよ、私。
クラスメートの「私ね、お母さんみたいなお母さんになるのが夢なの」という言葉を聞くたびに
私は羨ましくて羨ましくてしかたがなかった。

何があっても、我が子はかわいいものではないのか?
我が子を愛せないでいる母親を理解できないのは、自分が子供を産んでいないからなのか?

まだしばらくは私の中で葛藤が続きそうだ。







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最終更新日  2024年03月22日 14時35分42秒
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