カテゴリ:母との確執
前々回のblog、右ひじの痣のことを書きながら、思った。
私が母から「醜い顔ね。よくそんな顔でおもてを歩けたものね」 そう言われたのは、小学校の3年生の時。 右ひじを勉強机と椅子の間に挟んでひねった事件も、小学校2年の終わりか3年生の直前。 それまでは、母は箸の上げ下ろしや畳のへりを踏まないよう等、しつけには厳しかったが、 虐待と言えるほどの体罰や暴言はなかったように思う。 私が覚えている範囲では。 3年生になる前、2年生のいつだったか、母は実家に数か月間戻ったことがあった。 職員室で先生から「お母さんが家にいなくてもよい子にしているように」と言われた。 その時の担任の顔を今でも覚えている。 後に父から聞いて判ったことだが、母はいきなり喘息発作を起こし、病院に通ったものの原因が判らず、 「もしかして嫁姑の問題で精神的に参ってしまっての発症かも」とかかりつけ医に言われた結果だった。 奈良の実家に戻ると同時に、母の喘息はすっかり成りを潜めたそうで、 やはり祖母との確執が原因で、体に変調をきたしたのだろう。 私が夫の女性関係に悩みに悩んで、同じく喘息を発症したのと同じように・・・。 やがて母は戻ってきたが、喘息はすぐに再発した。 私の喘息はあまり咳を伴わずに喘鳴が続くが、母のそれは咳がひどい。 布団に入ってコンコンと、ずっと苦し気にしていたのは覚えている。 そうか、積もり積もった姑への反発の気持ちが喘息発症に繋がり、 多分、そこから姑にそっくりな私への憎しみへと変換されていったのだ。 「醜い顔。おばあちゃんに、そっくり!」と言うようになったのは、ちょうどその頃からだ。 この年齢になって、なんとか母を赦そうと、こうやって考え続けている。 どんなことにも理由があり、中には理不尽にも、自分ではどうしようもないこともあるだろう。 でも、でも、やはり私は思ってしまう。 辛かったんだよ、私。 クラスメートの「私ね、お母さんみたいなお母さんになるのが夢なの」という言葉を聞くたびに 私は羨ましくて羨ましくてしかたがなかった。 何があっても、我が子はかわいいものではないのか? 我が子を愛せないでいる母親を理解できないのは、自分が子供を産んでいないからなのか? まだしばらくは私の中で葛藤が続きそうだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年03月22日 14時35分42秒
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