Our character is affected by the environment
ミツマという珍しい名前の理科の先生がいた。ミツマ先生は授業をよくそっちのけにして、観てきた映画の話をした。オーソン・ウェルズの「市民ケーン」を観てきた次の日は、「染色体」について学習するはずだったのに、“薔薇の蕾”という不可解な言葉を残して死んだ新聞王チャールズ・フォスター・ケーンの孤独な生涯についての、その映画に夢中だった。アングルが良いとか、舞台的な演技スタイルを生かす為にカットを極力少なくしていたとか、そんな事も話していた。好きなことに夢中になれる先生だったから、授業も面白かった。特に染色体というものに興味をもった。生命の不思議を具体的に、科学的に感じた最初だったと思う。物理とか化学、生物に興味を持てたのは先生の影響かもしれない。高校に上がると、現代国語のアライという先生がいた。廊下を歩いている時、首を左横に捻って、苦虫を噛み潰したかのような凄まじい形相で歩いていた。悩んでいるのを通り越して、病的だった髪型は一九分けで、髪が薄かった。まだそれでも50前だったと思う。アライ先生は、室生犀星、石川啄木,宮沢賢治、萩原朔太郎、中原中也を愛して止まなかった。その愛し方には物凄い熱が籠もっていた。先生はまるで知り合いの様に、犀星、啄木、賢治、朔太郎、中也と、親しみを込めて呼んだ。その呼び方一つにも愛情を感じた。授業をちゃんと聞かない生徒は、それは主に男子生徒だったけれど、胸ぐらを掴まれて廊下に出された。口答えする者には平気で横っ面を張り倒していた。その迫力は凄いものだった。だから授業が真剣勝負みたいに緊張感がいつも流れていた。先生は朗読が上手かった。私が特に好きだったのは、萩原朔太郎の「月に吠える」という詩集の中の、次の作品だった。見しらぬ犬この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、みすぼらしい、後足でびつこをひいてゐる不具(かたわ)の犬のかげだ。 ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、わたしのゆく道路の方角では、長屋の家根がべらべらと風にふかれてゐる、道ばたの陰気な空地では、ひからびた草の葉つぱがしなしなとほそくうごいて居る。 ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、おほきな、いきもののやうな月が、ぼんやりと行手に浮んでゐる、さうして背後(うしろ)のさびしい往来では、犬のほそながい尻尾の先が地べたの上をひきずつて居る。 ああ、どこまでも、どこまでも、この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、きたならしい地べたを這ひまはつて、わたしの背後(うしろ)で後足をひきずつてゐる病気の犬だ、とほく、ながく、かなしげにおびえながら、さびしい空の月に向つて遠白く吠えるふしあはせの犬のかげだ。 先生の朗読を聞くと、まだまだ感受性が強かったから、それは身に染みるほどの孤独を感じないわけにはいかなかった。先生は何が好きか、何故好きかを一人一人によく聞いた。どれも好きではないという生徒には、授業に出ないでも良いと言った。出なくても成績は普通につけると言った。徹底していた。先生のやり方が良いか悪いかは私にはわからなかった。ただ、先生のおかげでとてもその時代の作家の人達を好きになれたし、その時代の作品の素晴らしさも知る事が出来た。そしてその影響をかなり受けていると思う。