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テーマ:つぶやき(11987)
カテゴリ:つぶやき、人間関係
いつの頃から「忖度」がこれほど大手を振るようになり、その上悪弊のようになったのだろうか。 いや、忖度はどの時代でも人間関係や社会に必要なものだったとは思うし、 私もこの言葉は若い頃から知っていたように思う。 でも、それは「思いやり」や「場の空気を読む」ような意味合いであり、 あまり悪い意味はなかったように思うのは、私が狭い意味だけで知っていたのだろうか。 思えば、故安倍首相の頃から、政治問題で忖度がよく言われるようになり、 忖度の限度を超えたような気がする。 忖度で国会答弁が疑惑だらけになり、さらに公文書が改ざんされるなどのことが続き、 私の政治への信頼度は急降下した。 今では忖度の毒が蔓延し、政治家のみならず企業風土もひどいことになっている。 今回、ジャニーズ事務所の少年たちへのセクハラだけではなく性的虐待の経過を知り、 この世界では忖度と隠蔽は随分昔からの常識にまでなっていたのかと唖然としている。 あの事務所から巣立ったスターたちは、それぞれどのように感じそれを黙認し、 受け入れてきたのだろうか。 そして、巨大芸能事務所に忖度というか遠慮をしてきたメディアの罪は大きい。 さらに言えば、この事務所の問題について他の芸能事務所などが全く知らなかったわけもなく、 芸能界全体は大丈夫なのだろうかと思ってしまうのは自然だろう。 今さら記者会見で鬼の首を取ったように事務所関係者をつるし上げるメディアも、 結局は同じ穴の貉だろう。 青少年への性加害の罪は、その影響がその人の生涯に影響を与えることだ。 児童への虐待は、時として再生産(?)されることがある。 あるいは生涯にわたり人への不信感や恐怖、自然な性のありようを歪ませることがある。 最近の私は、政治家の言葉も官僚の言葉もそのまま信じることができなくなった。 その上に、テレビや映画に登場するあの芸能事務所出身の人達を どうしても曇った目で見てしまう。 どんな言葉も「きれいごと」「たてまえ」に聞こえてしまうようになってしまった。 この国に蔓延してしまった忖度による不信感という毒は、 きっと私自身をも汚染しているのではないかと感じる。 私が気付かなかっただけで、これが日本人の本質であり、日本社会なのだろうか。 追記 児童への様々な虐待については、忖度と言うより子どもの人権に対する認識が低すぎたし、今でも低いからかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年09月11日 08時50分30秒
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