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テーマ:友達(286)
カテゴリ:つぶやき、人間関係
何度かこのブログでも書いていると思うが、
私は子ども時代には友達が少ないことを自覚してから、ひそかに悩んでもいた。 多分、悩みながら戸惑いながらも、普通に学校生活を過ごしていたはずだが、 何だか疎外感というか、みんなから浮いているような気がしてならなかった。 それでも、いじめられたりシカトされたりすることはなく、 いつの頃からか親友と言える人はいないかもしれないけれど、知り合いはいると思うようになった。 多少苦手な人とでも付き合うことはできると割り切り、誘われたらできるだけ付き合い、 頼まれたらできるだけ要望に応えるようにしてきた。 どんなことでも自分を開いて話せるように思う人と出会ったのは、四十代になってからだ。 ずっと生まれ育った地で暮らしてきたため、中学のクラス会も万年幹事である。 去年のクラス会の時に、来たいのに来れなかった神戸の友達に、 「貴女が来れないなら、今度私が行くよ」と言ってしまったので、 今年の三月に関西に行くことにした。 そこには、三人の中学の同期・同級生がいるので、三人で会うことになった。 そのことを知らせると、三人ともとても喜んでくれて、それぞれ旅館を選び、 一緒に歩いて話したり食事をしたりするコースを、下見してまで考えてくれている。 私が行くことでそんなに喜んで迎えようとしてくれていることに、 正直なところかなり驚きつつ、嬉しくも感謝もしている。 実は、この四人が同時に同級生だった時期はない。 一人については、一度もクラスメイトになったことはなく、 どうしてこれほど楽しみにしてくれるようになったのか思い出せない。 多分、同期会の時に色々話したことで親しくなったのかもしれない。 それでも、それぞれがお互いを間違いなく懐かしい幼馴染と思って、 再会を楽しみに待っているのだ。 そんな旧友とのつながりを思い出しながら考えていることを書いておこう。 色々あったにせよ長く付き合いが続いているなら、 それはひょっとすると親友と言えるのではないだろうか。 私は友達が少ないような気がして寂しかったから、 付き合ってくれる人を大事にしてきたように思う。 声をかけてくれるだけでも嬉しいと思ったから、 自分と同じように寂しさを感じているように見える人には、 おずおずとではあるが声をかけるようにしてきた。 (若い頃には男女を問わず…) それが時には誤解を招き、混乱したり自己嫌悪に陥ったこともあった。 そんな渦潮の時代を潜り抜け、いまも付き合いが続いているということは、 間違いなく大切な友達なのだと思う。 そんな関係は、一朝一夕では紡げない。 やはり、人との付き合いは大切にするのがいいようだ。 縁はつないでこそ縁となる。 ただし、辛いのを我慢してまでつながなくてもいい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年01月14日 11時20分36秒
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