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テーマ:つぶやき(11659)
カテゴリ:戦争・紛争・平和、原発、災害
20年前の2月はどんなことをしてたかなと、過去のブログを見ていたら、
2004年02月21日の「旅行の後始末」を見つけた。 老いた父が、かつての戦友たちが沖縄戦で大勢亡くなった場所に行きたいということで、 両親と私が2泊3日で沖縄に行った時のブログだ。 もう20年も前のことなのに、つい数年前のような気がするのは私が年をとった証拠かも。 ブログを読んでいると、普段は忘れていることがはっきり思い出せる。 これを続けていて良かったなと、あらためて思う。 これを読んでいて再発見したような気がしたのは、 あの時ガイドをしてくれた個人タクシーの運転手Uさんの言葉だ。 沖縄の人たちがあの戦争で本当に大変な思いをしたのに、 あまりにも辛い体験だったこともあり、子や孫たちに戦争の実相をあまり伝えていないこと。 そのせいで、沖縄で育つ子ども達ですら、 「昔話」のようになってしまっている面があるとおっしゃっていた。 だからUさんは、個人タクシーの平和ガイドの傍ら、 子ども達に戦跡体験などでの平和教育活動をしていると聞いた。 確かに、思い出すのも辛いことはなかなか話すことができないのも事実だ。 しかし、体験者がいなくなり、実感を持って聞いた人もいなくなれば、 あの戦争も単なる昔話になり、特攻で亡くなった人たちも英雄視されるだけになる。 つまり、国のために命を失うことが美談に終わってしまうことになる。 そんな人が、20年前よりは確実に増えているのだろう。 だから、多くの国民の犠牲によって獲得できた平和憲法すら形骸化しつつある。 もう一つ、ブログにも書いているけれど、 洗脳状態であったはずの自分達国民が、あっという間に気持ちを切り替えることが出来たのはなぜだと思いますか?」と聞いた時、 「それは、日本の指導者層が洗脳されていなかった、あるいはすぐに目が覚めたということでしょう。 指導的立場にある人の意識がそのままだと、洗脳は解けないのではないでしょうか」 とおっしゃった。 この言葉は忘れていたのだが、あらためて大切な視点だと思っている。 ことは軍国主義時代の洗脳のことにとどまらない。 統一教会のことも、政治家の裏金問題のことも、教育観、天皇制、男女の不平等、 みんな過去の価値観に洗脳されているままの指導者が目覚めなければ、 庶民の洗脳もとけないのかもしれない。 洗脳状態の人は、自分がそんな状態とは思っていない。 それが当たり前の考え方だと思っているから、違う意見の人を糾弾しようとする。 しかし、どうも人というものは、洗脳されている状態を心地よく感じる面があるのかもしれない。 私は何に洗脳されているのか、時々は考えてみなくちゃ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年02月23日 11時51分00秒
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