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テーマ:つぶやき(11963)
カテゴリ:つぶやき、人間関係
昨日は気心の知れた友人とランチをしながら色々なことを話した。
私の中で記憶に残った話題は「運の良い人悪い人」と、「貧困」「子ども達の未来」だ。 今日はその中で、「運の良し悪しと人生」について思ったことを書いてみよう。 私は74歳になったので、自分の来し方を振り返ると、「私は運が良かったな」と思うし、 それも色々な人との出会いや支えがあったからだなと心から感謝している。 自分が「運が良い」と感じるようになったのは、いつの頃からだろうか。 多分、仕事をしていた頃のとても嫌な出来事の時に「私は守られているかも」と思った頃からのように思う。 そのことがなければ、その後も運が良いとか守られているなんて考えなかったかもしれない。 それはある意味、私にとってはピンチの時だった。 今でもその出来事のことを思うと辛いし、私にもっとできることがあったのではないかと後悔もある。 それなのに、私は「運が良かった」と思うのだ。 具体的に言えば、私は「その日、完全にアリバイがあった」のだ。 通常ならば、そのような日は私は家で一人で家事をしているか、 子ども達と一緒だというだけだったはずなのだ。 私は容疑者の一人になるかもしれなかったかもしれないし、 そうでなくても長時間の取り調べを受けなくてはならなかったのは必定。 その後は色々なことに翻弄され、疲れ果て、結果的にずっと続けたいと思っていた仕事も辞めることになった。 私にとっては一種の挫折であり、自信を失うことにもなったのだけど、人生はわからないものだ。 そのことで私は次の段階への足掛かりを得て、まともな報酬を得られる仕事にはとうとう巡り合えなかったけれど、何らかの社会と関わる仕事を続けてくることができたと思っている。 さらに人生を俯瞰してみたら、私は若い頃から運が良かったのだと思う。 しかし、ずいぶん後になるまで、そのことに気付くことはできなかったし、 むしろ自分の望む形になれないことを嘆いていたように思う。 その頃は、周囲の人に心から感謝する気持ちも薄かったと思う。 交通事故や自然災害での死、理不尽な事件に巻き込まれたり殺されたりと、新聞などでは運が悪いとしか思えない最期になってしまった人たちが沢山いる。 それを思うと、生きていること自体が運がいいとさえ思う。 しかし、そんなことを実感できる人は多くはないだろう。 心から「私はついてる。運が良かった」と思わざるを得ない時に初めて、自分の運の良さに気付くものなのだろう。 しかし、同じ条件でもなお「運が良かった」とは思えない人もいる。 そのような人は、きっといつまでも運は巡ってこないかもしれないと思ったりもする。 「ピンチはチャンス」という言葉がある。本当にそうだと思う。 ピンチの時に「チャンスかもしれない」と思える心の働きは、必ずチャンスを見つけようとする。 それが運を引き寄せるのだろう。 私は長い間、自分は運がいいし、色々なことに恵まれているし、いつまでもこんなことは続かないのではないかと思っていた。 今まで運が良かったのだから、これからどんなことがあっても文句を言わずに引き受けなくちゃバチが当たるとも思っていた。 それなのに今のところさほど大変なことは起きてはいない。 これからどうなるかはわからないけれど、ここまで平穏無事だったのだから、もう十分だなと思う。 こう書きながら思う。一度運が良いと確信してしまったら、不運も寄せ付けないのじゃないか?! 「運の良い人、悪い人」なんて本もあったように思うが、きっと私が書いたようなことをもっと論理的・学術的に書いているのではないだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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