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テーマ:お盆について(20)
カテゴリ:家族・親族
我が家のお盆は、毎年お墓参りなどが終わってから我が家に集まり会食することが恒例だ。
結婚した時には、お盆やお正月、お祭りの時などに夫の親族がたくさん集まることに仰天した。 夫の両親は、色々な紆余曲折がありながらも、私達が結婚した時には市内の小さな借家に住んでいた。 本当に狭い借家だったのだが、そこに夫の兄弟姉妹とその家族が集まるのだ。 少しずつ時間をずらして集まってはいるのだが、全員が同じ部屋に入れるわけがない。 子ども達は外で遊んだりしているのだが、とにかまその大人数の子どもや孫たちのために、義母は小さな台所で大量の料理を作り続け出し続ける。 私達が手伝えるのは、義母が作った料理を大皿に盛り、テーブルに出したり空き皿を片付けたりする程度。 手品のように料理が出てくることに、私は本当に驚いたものだ。 やがて、年月と共に夫の両親は亡くなり、集まる場所は義姉たちの家と我が家が順繰りに会場になった。 その義姉たちも年老いてきて、世代が甥姪のに代わり始めると、ついに我が家だけが会場になる。 もちろん、私の身内のこともあるので、夫の親族が集まる日と、私の身内が集まる日になる。 私は、盆と年末年始はそのための料理を用意することになる。 実家の母が元気なころには、私は何品かの料理を持参するだけだったが、母がそれが出来なくなった頃からは、我が家で集まることになった。 さらに時がたち、今では夫の親戚には盆参りをするだけになり、今年は息子たちと妹が我が家で会食をするだけ。 もちろん、その前には三か所のお墓と、両親の納骨堂にお参りをした後である。 もう、前日から大量の料理を作ることもなく、前日にカボチャサラダをつくり、オードブルに使う食材などを買い出しするだけで、当日はスーパーで買ったお刺身やお寿司などを並べ、簡単にできる料理を三品ほど作るだけだった。 沢山の親族が二日に分けて集まる頃は、お盆や年末年始は気が重かった。 (私はいつまでこんなことを繰り返さなくてはならないのか)とか、(あと何回やったら、この役目が終わるのか)と、何度もため息をついた。 しかし今年は、(あと何回、このように集まれて、私が料理を用意できるのだろうか)と思う。 みんなの元気な顔を見て、美味しいものを食べて、他愛のない昔話に花を咲かせて、今の生活のあれこれを聞いて…。 これは本当に「有難いこと」だとしみじみ思う。 そして、このような場を作ってくれるご先祖様にも、心からの感謝の気持ちが湧いてくる。 来年もまた同じような光景になることを心から願ってしまうのは、私が年を取ったからなのだろうな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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