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にほんブログ村 お休みは、郷土史を調べるのも良いでしょう。 以前、愛知県岡崎市最古の石灯篭と、 それに関連した馬頭観音を取り上げたのを覚えておられるでしょうか? いずれも塩問屋 国分家の関連でした。 その後、調べると国分家は西三河で有力な塩問屋だったとわかりました。 江戸時代、岡崎には7軒の塩問屋があり、西三河の塩の専売権を持っていました。 当時、一色町、吉良町、蒲郡市には塩田地帯がありました。 岡崎の塩問屋は、それらの仕入れの独占権を持っていました。 塩問屋は矢作川を使い船で塩を運びました。 その後は陸路を、馬を使って塩を運びました。 この経路は「塩の道」として今に伝わります。 塩問屋が塩を独占した背景には、徳川家康の権威がありました。 1575年に家康に専売権を認められた。 それが岡崎塩問屋の主張でしたが、 専売権を示す書面もなく、怪しいものでした。 三河の製塩については、トンカツ1188さんが書かれています。 写真付きの製塩の実演ですから、ぜひご覧ください。 【トンカツ1188さん】 「愛知県西尾市 吉良饗庭塩の里」 【 天然塩あまび 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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