カテゴリ:僕の教育論
とある方のブログにて、いじめ問題についてのご意見が記されていました。
その文面を読んでいて、なんだかしっくりとこない。 いや別に、強く「そんなことない!」って思うほどのことではないんだけど、 読み終わってどうもすっきりしない。しっくりこない。 コレはなんだろうということで、いじめ問題に関する自分の意見をまとめてみることにしました。 勝手を言いますが、興味のある方のみご覧ください。 (長くなってしまったので、数日間に分けて掲載することにしました。) まず、わたしは小学校・中学校といじめられっ子でした。 別にそのことを卑下しているわけでも、哀れんで欲しいわけでもありません。 むしろ、非常に貴重な経験をしたと思っています。 そしてわたしは、学習塾の先生として、あるいはその後、教育に関わる身として少なくはないいじめられっ子・いじめっ子と接してきました。その経験の中から生まれた考え方である。 ことを、先に断っておきます。 【いじめ問題の問題と対策】 いじめ問題が話題に取り上げられると、必ずと言っていいほど 「いじめっ子が全面的に悪い」 「いや、いじめられるほうにも問題がある」 「そんなことはない!いじめられる側は何も悪くない」 なんて論戦が繰り広げられませんか? 僕の視点からすると、「悪いのはいじめている方」です。 コレはもう、疑いようもない事実でしょう。 誰だって、どんな理由があったって他の誰かを傷つけていい理由なんてどこにもない。 確かに、いじめる側だって何かしらの問題を抱えていることもあります。 いじめている側だって被害者なんだって言うような発想もありえますよね。 多いのが、家庭に問題があるケース。 十分な愛情を受けずに育ってしまい、その鬱憤や欲求不満を他者にぶつけてしまうという話は聞いたこともあると思います。 ここで言う『十分な愛情』とは、その人(いじめっ子)本人にとって十分なという意味です。だからここで「足りている」「いない」という判断は不要です。 でもね、そんな理由があったとしたって、 ましてや愛情不足どころか虐待を受けていたとしたって、 そのことは他人を傷つけていい理由にはなりません。 どんな場合にも、どんな事情があっても他人を傷つけてはいけない。 あるいは、いじめられる方にだって問題があるでしょ? なんていうケース。 コレでもやっぱり悪いのはいじめっ子でしょう。理由は同じ。 対等な二人の人間の間で、あるいは二つの集団の間で起こっているけんかとはワケが違いますから、”一方的な攻撃=いじめ”はやっぱり許されません。 だから、いじめという現象に関しては、 『悪いのは100%いじめている側』だと思います。 ただね、 だからいじめられている側は何も気にしなくていい。 何も反省する必要もない。 俯かず、胸を張っていればいい! とは思いません。 前述したように、悪いのはすべていじめている側です。 糾弾されるべきはいじめている側ですし、世の中からいじめという行為そのものをなくしていかなければならない。 それはその通りだと思います。 でも、でもです。 いじめている側だって、何らかの方法でいじめる相手を選んでいるわけでしょう? 同じような境遇にいる中でも、いじめられる人とそうでない人がいるわけでしょう? もちろん、「ただ運が悪くて」なんていうことも多々あるとは思いますが、 起こった物事には必ず『原因』があります。 何度も言うように、”悪い”のはもうそれは絶対的にいじめている方であって、いじめられる側にはなんら悪いところはないんだけど、選別が行われている以上はいじめられる側 にも『原因』があると思ったほうがいい。 そう捉えたほうが、解決に近づいていくと思うんです。 <続きます> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 21, 2008 10:59:49 AM
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