急須のような人
牛君と蛙君が話をしている。それがたまたま耳に入ってきた。 どうやら牛君の意見は常識的判断によれば間違っているようだ。 この場合、牛君と蛙君の会話に割って入るか、入らないかで、その人の対人対処法が分かる。 「牛君、それは間違っているよ」とストレートに指摘する定規タイプ。 私は二人の会話に割り込まないカーブのついた杓子タイプだ。 「牛君はジョークを言っているのだろう」 「牛君の発言には、私のあずかり知らない深い背景があるのかもしれない。軽々に正誤の判断を下してしまうのはどうなのだろう」 「牛君と蛙君の会話のテーマは極めて社会性にとぼしい。たとえ間違っていても社会的影響はゼロに等しい。だから放っておいても私の人生が脅かされることはないだろう」 と主にこのような理由から、私は人の会話に割り込んでいくことがない。だから、ラジオやテレビ、映画の音声を聞いているのと同じ感覚で人の会話を聞いていることができる。私が出て行って変えてやろうとは思わない。 杓子は曲がっているけれど、曲がっていても気にならない。曲がっているままでいい。むしろ曲がっているからいいのだ。と、これと同じ。 だから私と蛙君で話をしているときに、牛君がジョークの出鼻をくじくようなことを指摘してくると頭にくる。 (おまえはこの会話の背景も、ジョーク性も、社会的インパクト性もわかっていないくせに)なる気持ちになる。 頭にくる。 気になる。 気にしすぎだろうか。 一度、この件に関して、私はカウンセリングを受けてみようかと思う。 おしまい ※横合いから口を出してくる人のことを「土瓶」ではなくて「急須」と言うのかな。土瓶でもいいのかな。とにかく横に口が付いているから。横から口を出すことしかできないんだ。わっはっは。 ※上司がヒョットコ顔の人がいた。呼びかけるときに「おい、ヒョットコ」と言いそうになるのが悩みだそうな。これは本人にしてみればかなり深刻な衝動だろうが、わたしにしてみれば大爆笑だ。