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カテゴリ:思うこと
久しぶりの友人より連絡が入った。 その人と知り合いになったのは何時頃だっただろうか?少なくとも1年前とか2年前とかそんな時期ではない。もっと昔に知り合い、そして連絡を取るようになった。具体的な知り合い方なんて覚えていない。しかし古い友人になればなるほどそんな感じなのではないだろうか。はっきりと記憶に残っているものは確かに多いが、そうやっていつからつるむかわからない出会いの方が人生では多いように思う。 その友人とは一度だけ会っただけだ。まぁ世間的にはこれを友人と呼ぶのか微妙なところなのかもしれないが、少なくとも私は友人だと思っている。その一度だけ会ったというのももう数年前になる。何故会ったのか、その時何を話したのか、そのようなディテールもまた記憶がおぼろげだ。ただ、その人がどんな人で、どんな感じの雰囲気なのかは結構覚えている。それだけで十分なのではないかとも思う。古い友人ならば、何年会わなくても結構顔や雰囲気などは覚えていたりするものだ。 友達付き合いとは不思議なものだ。 私にはもっと昔から知り合いの友人が名古屋にいる。もう何度もブログに登場しているし、このブログの1日目の内容を書いた時にすぐ横にいたくらいだ。少なくともこのブログ以上の歴史があることになる。 その友人とは、今は住んでいるところが遠いせいもあってか、平均すれば2年に1度くらいしか会っていない。勿論その間に連絡はしているが、実際に会うのは大体2年に1度くらいだ。それでも実際に会えば話は弾むし、別に気まずいというようなこともない。私は常々そういうのは友人として最高のスタンスなのではないかと思う。よく「毎日のように連絡をする」だとか「頻繁に会う」とか「共通の趣味を持っている」というようなことを友人の定義として挙げている例を見かけるが、私はそういうものよりももっと友人としてのあり方のようなものがあるように思う。 上述の友人とは毎日連絡をしないし、頻繁にも会っていない。趣味も多分全然違うだろう。だけど私とは長い間友人として接してくれている。だからこそ私は友人の本当の資質というのは、その人そのものにあるように感じる。どんなに他の要素が足りなくても、その人自身を認めていれば友人としての付き合いはずっと続くだろう。 少しばかり雰囲気に依存した話になってしまったが、友人として大切なことはシンパシーだ。連絡を毎日する、頻繁に会う、趣味が合う、そのようなものを越えての人としての魅力を感じなければやはり友人にはなれないのだろう。だからこそ人間関係というのは面白い。そういう友人を沢山作れる人を、或いは人として魅力的な人と呼ぶのではないかと感じた今日この頃だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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