Sun&Moon
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準備はしない。そんなことを始めたら、永遠に終わらないから。(2004年11月26日の日記より)
2005.07.17
表面を取り繕うために責任転嫁しないで、むしろ正直に自らの混乱した姿を見せよ。誰でも自分の醜態は他人に見せたくないと思うもの。でも他人の目から見れば、それは案外魅力的だったりする。互いの排泄物や死骸をありがたく食べながら共存しているのが、自然界の摂理というものだ。自分から出ていくものは、汚いと思わずに正直に堂々と出せばいい。必ず、それを必要としている人がいる。ことばであれ、何であれ。そしてそのとき人は自分の本当の存在価値に気付く。(2004年12月23日の日記より)
You can be upset,You can lose your temper,You can shout,You can scream, You can cry as much as you want,You will be forgiven. Date: Tue, 30 Apr 2002 04:48:14 +0900(letters to... より)
2005.07.16
表面的に異なっていればいるほど、遠ければ遠いほど、より深いところで出会える。 (本日のブログより)
2005.07.14
「テロは本当に許しがたいことですが、それは報復によって止めることはできないのです。自制しなければなりません。」 もっともな言い分のように聞こえるよね。でも本当に許しがたい人は、そんなことを言う人だ。まるで、自分はこの事態とは無関係だと言わんばかりだ。 彼らは自分の中に溜め込んでいるストレスが、このテロや報復合戦の原動力になっていることに気付こうともしない。自分が善人のふりをしてさまざまな欲望を押さえ込んでいることが、この悲劇の本当の原因であることなど、考えもしないのだよ。 彼らは自分が嫌いだ。だからいつも「もっとよい人間にならなければならない」と考える。彼らは自分自身をいじめ、憎んでいる。自分を憎むものは、当然他人を憎むようになる。彼らは本当は他人が憎くてたまらない。傷つけたくてたまらない。けれども、彼らの最大の欲求は「善人になること」だから、他人を傷つけたい欲求は当然無意識の奥に押し込まれる。それがテロリストやアメリカの横暴の力になるんだ。テロリストやアメリカは、彼らの他人を傷つけたい欲求のただの代弁者に過ぎない。だから、本当の原因は、テロリストやアメリカにあるのではなく、この事態と自分とはまるで無関係であるかのようにふるまう、彼ら自身なのだ。どんなに認めたくなくても、もう、そのことに気付かなければいけないよ。 でも、一旦気付いたら、そこでまた自分を非難してはだめだよ。問題は決して自分を責めることでは解決しないのだから。 今度はこう考えよう。自分がこの問題の元凶なら、この問題を終わらせることができるのも、自分しかいない、と。つまりすべての人を苦しめている元凶が自分なら、すべての人をその苦しみから救うことができるのも、自分なのだ、と。 だから、一切の我慢はやめて、自分を許そう、自分が本当にしたいことをさせてやろう、と。 そう考えることだけが、この悲劇を終わらせることができる唯一の方法だ。Date: Sun, 02 Dec 2001 11:39:24 +0900(letters to...より)
2005.07.13
すべてはうまく行く。心配いらない。まっすぐ行っても、迷って行っても、結局はみんな辿り着くようになっているのです。ですから、迷うときは思いきり迷えばいい、頼るときは思いきり頼ればいい、そうすればおのずと自分で歩かざるを得ないように追い込まれるものだから・・・追い込まれればみんな自分で歩き出すものです。だって、そうするしかないから。自分で歩くことはとても怖いことなので、誰しも自分で自分を追い詰めないと踏み切れないものなのでしょう。だから、みんな無意識の内に自分を追い詰める行動に出てしまうのです。追い詰められることはいやなものですが、でもそうしないと変われないのだから仕方ない。すべてのことを楽天的に考えましょう。そうすれば案外簡単に乗り切れるものです。すべてはうまくいく。心配いらないよ。Date: Tue, 02 Jul 2002 22:30:10 +0900(letters to... より)
2005.07.11
真実は立証できない。なぜなら、真実の証拠は「すべて」なのだから。「すべて」を語ることはできない。故に、立証できるものは真実ではない。それはただ、ものごとの一面的な見方でしかない。真実はただ、腑に落ちる。(2005/7/2のブログより)
2005.07.10
777 2005-07-06 05:47:25 S&M1216さん 自分で踏んだ。
2005.07.06
相手を傷つけまいと思いやったつもりでオブラートに包んだことばや嘘が、かえって誤解を生み、その誤解が、もっと深く人を傷つける。結局真実しか人を救えない。(2005/4/15のブログより)
2005.07.02
あなたは何一つ間違っていない。あなたに何か問題があるとすれば、それは自分に自信がないこと、だけだ。(2004/10/1の日記より)
2005.07.01
客観的でなくていい。一般的である必要もない。ひたすら個人的で、独りよがりでかまわない。どこまでも深く追求していけば、必ず真理に辿り着く。そして、それがすべて人の共感を呼び起こす。「現象のぎりぎりの存在理由が、現象のぎりぎりの細部であるとはなんぴとも知るところで、 かくて極度の特殊化だけが、極度の一般化に有効にはたらきうるのです──フェルディナン・ド・ソシュール」(『沈黙するソシュール』より)2005/6/28のブログより
2005.06.29
自分自身ほどわからないものはありません。 自分が何をしたいのか、本当にわかっている人がどれほどいるでしょうか。学生に将来の希望を聞いてみると、「実は自分が何をしたいのか、よくわからない」という答えにしばしば出くわします。自分は何のために生まれてきたのか、という問いになれば、答えられる人はごくわずかでしょう。 ご飯が食べたいなどの生理的な欲求なら簡単にわかると思うかもしれませんが、それすらも怪しいことがあります。たとえば、では何を食べたいのかと深く追求してみれば、答えられないことが多いのです。「そばが食べたい」と思う人がいたとしても、その理由を聞いてみると、「ダイエット中だから」などという答えが返ってきたりします。だとすれば、その人は本当はそばが食べたいのではなく、ステーキが食べたいのを我慢しているだけなのかもしれないのです。また、将来の希望の職種として「公務員」を選ぶ人の中には、その理由として「経済的な安定」を挙げる人がかなりいます。ならば彼らは本当は公務員ではなく、他にやりたいことがあったのに、食べて行ける自信がなくて諦めてしまっただけなのではないでしょうか。いずれの場合も「本当にしたいこと」ではなくて、「しなければならないこと」を「したい」と言っているにすぎないのです。 一体、人はどうしてこうも、自分が何をしたいのかわからなくなってしまったのでしょう。それは人が常に何かを「しなければならない」という観念に支配されているからではないでしょうか。私たちは普通、幼いときから、「したい」ことよりも「すべき」ことを優先するほうが正しいと教えられてきました。だから、「すべき」ことをせずに「したい」ことをしようとするとき、多少なりとも罪悪感を感じずにはいられません。一般的に、「したい」ことを上手に我慢できる人は立派な人だと思われがちです。それ故人は、自分が「本当にしたい」ことを押し隠し、「しなければならない」ことを「したい」のだと自分自身に言い聞かせるようになってしまったのではないでしょうか。 けれども、「本当はしたくないのに、しなければならないこと」を無理にやっていると、心の奥で「本当にしたいこと」が反発を始めるようになります。その葛藤を押さえ付けなければならないため、「しなければならないこと」に全力投球することができません。エネルギーが分散されて、自分自身が分裂してしまいます。そうなると、いくら頑張ってもエネルギーを消耗するだけで、すべてが空回りするようになります。 つまり、自分が「本当にしたい」ことは、「しなければならない」ことで押し殺すことはできないのです。むしろ、抑圧すればするほど、自分の中で反発を起こし、ストレスを生み、ついには健康を害して、「しなければならない」ことさえもできなくなってしまうものなのです。真面目な人ほど「自分の努力が足りないのだ」と考えて自分を叱咤激励して頑張ってしまうので、さらに辛い窮地に追い込まれることになります。 人が「本当にしたいこと」をしているときは、そのような葛藤はありません。心の底からやりたいことをやっているわけですから、自分自身が分裂することもないし、心の迷いもありません。だから自分の全エネルギーを注ぐことができ、頑張った分だけ着実に成果が上がるので、やりがいと達成感が味わえます。それはとても幸せな生き方です。もちろん、「本当にしたいこと」をしていればすべてが順調なわけではありません。むしろ、たくさんの困難や恐怖に直面することでしょう。けれども、そのひとつひとつに真正面からぶつかっていけば、その都度自分が大きく成長していくのを感じることができます。「しなければならないこと」をしているときには、エネルギーがどんどん消耗していきますが、「本当にしたいこと」をしているときには、逆にますますエネルギーが湧いてくるものなのです。 人は自分の身の安全を守ろうとするときに「しなければならないこと」を選択しがちです。確かに、「しなければならないこと」を優先すれば、社会的な立場や経済的な安定は守れるかもしれません。「本当にしたいこと」を優先するのはある意味では大変危険な賭だと言えるでしょう。それは、実はとても勇気がいることなのです。けれども、もしも人生に行き詰まったなら、思い切ってやってみる価値があるのではないでしょうか。 人は本来、冒険するために生まれてきたのだから。 2003.9.30
2005.06.27
「自分さえ我慢すれば、大切な人の幸せは守られる」自分が本当にすべきことを行動に移す勇気がないとき、人は必ずこんな言い訳をして、問題の核心から逃げようとする。あなたが不幸なら、あなたの周りの人も幸せであるはずがない。一見幸せに見えたとしても、それはただの仮面でしかない。みんな何かを我慢しているだけだ。あなたが本当に幸せにならなければ、あなたの周りの人も決して幸せにはなれない。あなたが不幸に甘んじていれば、あなたの周りの人も必ず不幸になる。すべての人の幸せはつながっているのです。これは永遠に揺るがない真理です。だから、自分に嘘を付いて、幸せになることから逃げようとしていけません。あなたが幸せになることこそが、あなたの愛する人を幸せにできる唯一の方法なのだから。 (2005/6/11のブログより)
2005.06.26
法律や罰則や脅しで人を縛る時代は終わりを告げた。 いくら隠そうとしても真実は明らかになり、嘘は暴露される。 もう誰も本音を隠すことはできない。 自分を守ろうと躍起になる人々はますます攻撃されて追いつめられるが、 覚悟を決めて裸の自分をさらす人は不思議と守られて 決して傷つくことはない。 だから心配いらないよ。 自分を守ろうとさえしなければ、誰もあなたを攻撃できないのだから。 すべてが明らかになれば、すべての答えがそこにある。 あなたは必ず許される。
2005.06.22