トンブリー路線バスの旅(7) バーンブアトーン収容所
念願のクイッティアオ・ルアに満足満足!橋の両脇には、舟の物売りのオブジェが建っています。もしかして水上マーケットもこの辺にあるんでしょうかね。バス停で待っていたノンタブリー(バーンシームアン船着場)行きバスに乗車。しかしさっきのバスにも増してボロいなぁ(笑)ほぼ満席のバスは、09:45に出発しました。ほどなくしてバーンブアトーン方面との三叉路に着いたところで私は下車。左がバーンヤイ、右がバーンブアトーン方面です。ここでバーンブアトーン行きの同じバス会社のバスに乗り換えます。ほどなくやってきたバスに飛び乗り、バーンクルアイ・サイノーイ通りを一路北へ。多分ラッタナーティベート通りを越えた辺りからだと思うんですが、急に綺麗に整備された道になり、景色が一変しました。地図と車窓の景色とを見比べつつ、目的地で下車。ここ、バーンブアトーン市役所です。な、なぜ!? って思いますよね。私も同感です(笑)実は、ここバーンブアトーン郡には終戦直後、日本人が抑留されていた「バーンブアトーン収容所」(カーイ・ピタック・バーンブアトーン)があったのです。その跡地を見たいと思ったものの、場所が特定できません。なので市役所で尋ねようと思ったのですが、収容所が60年前とは言え市内にあったとは思えませんし、ヘタレな私は土壇場で尋ねる勇気もなく・・・(汗)在京タイ王国大使館のバーンブアトーン収容所に関するページによると、現在では収容所の痕跡は皆無だそうです。まぁ、それも行くのを断念した理由の一つなのですが。ただこちらのタイ人の方のブログによると、地元住民が「バーン・カーイ2」(第2キャンプ)、「バーン・カーイ3」(第3キャンプ)と呼ぶ地名として残っているんだとか。でも地元の方もなぜそう呼ぶのかは、今や知る人はほとんどいないそうです。あと、どこかで見つけたのですが、「クローン・カーイ2」(第2キャンプ運河)という名の運河があるらしいです。地図を目を皿のようにして調べたのですが、小さな運河らしく載っていませんでした。バーンブアトーン収容所には、抑留日本人3,603人中の大部分にあたる、3,449人(外交関係者および一般文民)が抑留されていたのだそうです。残留を希望しない3,020人は、1946年6月16日に船でバンコクを発ち、残留希望者のうち連合軍(英軍)に許可された146名が解放されたのは、同年9月26日だったとのことです。恐らく収容所があったのは、もっとずっと北西の方だと思います。そこまでは時間的にも無理でした。でもバーンブアトーンに来られただけで正直、私は満足なのです。さて、こんなところで降りてしまって、これからどうするんだ!?<交通費>ノンタブリー行きバス:6バーツ バーンブアトーン行きバス:8バーツここまでの合計:55バーツつづく・・・【参考文献】 村嶋英治「日タイ関係 1945-1952年, -在タイ日本人及び在タイ日本資産の 戦後処理を中心に-」早稲田大学アジア太平洋研究センター『アジア太平洋討究』 創刊号、早稲田大学アジア太平洋研究センター図書・編集委員会、2000年