旧日本軍とヒンダート温泉 カンチャナブリーの奥へ[4]
ヒンダート温泉にある浴槽3つ全てに入り比べをしてみますか。この最初のは、前回も書いたとおりややぬるめで眠さを誘ういい湯加減。その隣の2つめに移ってみると、最初は少し熱めに感じたものの、すぐに慣れて日本人にちょうどいい湯加減に感じました。日本の熱めの温泉ほどでは全然なく、やはりどちらかというとぬるめの部類ですかね。さらに木を挟んだ向こう側の3つめに向かうと、今までの2つが胸までの深さだったのに対して、ももの付け根までの深さ。階段もあるし、ここなら日本の温泉のように座って入浴ができます。湯加減は1つめと同じでややぬるめ。いいもんですよ~。さて、のんびり浸かっているとのぼせそうですし、先を急ぎたいので泣く泣く温泉から上がることに。荷物を置いたところから再度眺めてみます。実は私がこのヒンダート温泉を知ったのは、TBSの『世界ふしぎ発見!』で2014年3月1日(土)に放映された「日本に追いつけ!追い越せ! 未知なる温泉王国タイ」を見てなんです。番組内でも説明がありましたが、ヒンダート温泉は旧日本軍と深い関係があります。ヒンダート温泉を紹介するタイ語サイトを調べると、泰緬鉄道建設にあたった日本軍がこの地で温泉を発見し入浴用に整備した、とのこと。一方番組では、地元の人から温泉が湧き出ている場所があることを知らされた日本軍が入浴用に整備した旨の説明がありました。まぁいずれにしても入浴用に初めて使用したのは日本軍だったということですよね。日本軍が利用した証拠が、東京目黒の防衛省防衛研究所に保管されていて閲覧できます。南方軍野戦鉄道隊が作成した「昭和十九年八月現在 泰緬連接鉄道要図」がそれ。泰緬鉄道のおおまかな地図なのですが、「ヒンダート」駅のすぐ南に♨マークとともに「温泉療養所」との記載が見て取れるんです。傷病兵の療養などに利用したのでしょうかね。そんな温泉に浸かることができて感慨深いものがあります。この路線図ですが、わざわざ防衛研究所まで行かなくても、『泰緬鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争』吉川利治著、同文舘、1994年の巻末に掲載されていますので、興味のある方はぜひ。更衣室で着替えて橋を渡ろうとすると、左手にこんなものが。お坊さん専用温泉?法衣は干されているもののお坊さんの姿は無し。ここまで来るのがちょっと大変だけど、ぜひまた温泉にのんびり浸かりに来たいですね。橋を渡った先は売店が連なっています。ここで昼飯代わりに15バーツの菓子パンを購入。ついでにバスの間隔を尋ねると頻繁には無くて30分に一本ぐらいとのこと。ちなみに売店では短パンやTシャツを売っているので、手ぶらで来ても温泉を楽しめますよ~。帰りがけにかつてこの先にあった泰緬鉄道ヒーンダート駅の跡を探そうかとも思ったんですが、跡形も無くなり探しようが無さそうなので断念。てくてく歩いて、国道323号線に出ました。昼下がりでさすがに暑いです。角の売店でジュースを買いますか。ビルマ語だかモン語だかの踊る広告が遠くに来たことを実感させてくれます ^_^;)店内を何気なく見回したらなんと日本語が!こんな山奥でも日本語を見かけるなんて嬉しいじゃないですか。思わずジュース2本買っちゃいました(笑)国道を渡った先のあずま屋へ。時刻は13:36。バスを待ちながら菓子パンを食べます。うーん、30分経ったけど来やしませんなー。不安になっていたところ、ようやくバスの姿が!しかし、なんとスピードを緩めずに通過するじゃないですか~!!慌てて走り出て、手を振ります。すると、しばらく先で停車してバックしてきてくれました ^_^;)助かりましたよ。時刻は、14:25。車掌さんにお礼を言いつつ、運賃を支払います。終点サンクラブリーまで110バーツ。さて、何時間後に到着することやら。<旅費交通費>バス:110バーツここまでの合計:300バーツ※旅は2014年4月1日(火)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。