そば茶流・赤子のあやし方
コチュ(赤子)がもうすぐ1歳になる。よくまあ、とりあえずまともなかんじに、ここまで育ったなぁと思う。ダンナのそば茶は、年の離れた弟が2人いるし、いとこやらなんやらもみんな年下で、そのうえ本人の精神年齢もおおいに手伝って、子供大好きな人間だし、子供からも人気抜群な人間である。だけどももちろん、子育てははじめてだった。私はというと、子を身ごもるまでは、どちらかというと子どもは苦手だったし、赤子なんて間近で観察したことすらなかった。こんな人間が、アドバイスをくれる実母も遠いフランスで子育てするんだから、まともに健康に育ったらラッキー、それだけで万々歳ってなもんだ。最初の頃は、私も日本から送ってもらった育児書を愛読書にしていたが、2,3ヶ月して慣れてしまったら、もう本を見る暇があるなら寝ていたいと思うようになり、コチュが病気したり、様子が変なときくらいしか見ないようになった。そんなんだから、私たちの子育ては、かなりその道からはずれているかもしれないと、ときどき不安になったりする。とくにそば茶は、ほっとくと色々な子育てのワザ(?)をあみだしてはコチュに試して、何気に避けられたりしているときもある。今日は、そば茶がいきなり、 「コチュにへそをみせると、爆笑するよ~!やってみせるから、みてて、みてて~!」などと言い出して、でかい腹をつきだしてかわいいコチュの目の前にへそをつきだしていた。こんなのをみたりすると、やや将来に不安を覚える。ちなみにコチュが本当に爆笑するのがおもしろくて、私とダブルへそでやってみた。ケタケタと笑うコチュに、大満足のそば茶だった。日本好きなそば茶は、子守唄に、私の地元の盆踊りを歌う。もちろん振りつき。昨年の夏日本に行って、メロディーと踊りを覚えて帰ってきた。それ以降、夏でも冬でも盆踊り。歌詞だけそば茶がてきとうにあわせるフランス語で。そば茶は、コチュが「ウタダヒカル」になることをひそかに夢みてるようだが、激しくむりがあるだろう。フランス語の盆踊り・・こんな妙なものを0歳児に聞かせて、早期教育もなにもあったものじゃない。万一コチュに音楽的センスが備わっていたとしても、すでに壊滅状態かもしれない。そば茶がコチュに聞かせる別の音楽の1つが、私の母がやっている扇舞の音楽。やはりこれも、去年日本で仕入れたカセット。扇子をもって踊る、これまた0歳児がフランスで聞くには渋すぎるメロディーだ。これにあわせてそば茶が扇子をもってテキトウに(みようみまねで)踊る。コチュがこれを、日本の伝統芸能だと思わないことを祈るばかりだ。今日私が留守の間、そば茶がコチュの子守をしていたのだが、この扇舞の音楽に加えて10年前くらいにはやったディスコ音楽をガンガンでコチュに聞かせていた。コチュだって、扇舞のあとにバリバリのディスコミュージックじゃあ、ノルにノレないだろうよ。私が帰宅したときは、そば茶が子供の頃カセットに吹き込んだという、 自分の歌声をコチュに聞かせていた。カセットの中で、みょ~にノリの軽い少年が、自分でキーボードを弾きながら、♪ゴン・ブン・カン ♪チン・ペン・トン (フランス語チックに♪)と、何故か 擬音を歌っている。そもそも何故この擬音の歌をカセットに吹き込もうとおもったのか?まぁ、少年の頃は、 今よりひどかった(いろんな意味で)のだろうと推測される。それにしても父親になった今、コレを娘に聞かせようという気持ちがイマイチ私にはわからない。そしてさっき私がお風呂からでてくると、マジックで何かを必死で書いていた。それが、コレ↓買い物したときにもらった袋、コレ↓が原型。目をかいただけ。コレを手にはめて、「コチュ~~!!ジュテ~~ム!!(愛してるよ~!)」と言いながら人形の口をパクパクさせて、コチュを追い回す。ものすごくおびえて、全速はいはいで逃げ回るコチュ。「ジュ・テ~~ム!!」と自分の作品に大満足のそば茶は、しつこくコチュを追いかけまわす。泣きながら私の足元にかくれるコチュ。この人の愛情表現は、ストレートなのか曲がってるのか、ほんとによくわからない。どちらにしろそれが伝わってないことだけは確かだ。ちなみに、この袋の顔、そば茶いわく“自画像”だそうなので、いちばん適当とおもわれるものをのせておきます↓。