テーマ:キャリアカウンセリング(8)
カテゴリ:キャリアデザイン
カウンセリングは、インテーク面談といって、クライアントの持つ相談事、つまり「主訴 chief complant」をはっきりさせるために、今までの経歴(あるいは病歴)やその他のことを、クライアントのペースに沿って聞いていく。
「来談経路」や、趣味、友人・知人関係、教育歴、そして、職業、健康状態、家族のことといったファミリー・ヒストリーから入り、自尊心を傷つける可能性がある性質は無理に聞き出さないという「心理に立ち入らない形で」はじめていく。 「相談」が人生相談になって話すことは、COやCCとして、望ましくない。 人生相談は、相手がCOやCCの「話」に依存していく傾向があるらしい。 「潜在性精神病 latent psychosis」というのがある。 これは、相談(あるいはカウンセリング)を行うことで引き起こすことがある。 基本的には自由に話させ、触れたくなさそうなテーマやクライアントの人生(life history)の中でフィードバックしたり、似た反応をした体験に特に注意を払っていく。 いま、Not in Employment, Education or Trainingについてさかんに問題視されているが、英国で社会問題になった労働政策の中で「職に就かず、学校等の教育機関に所属せず、就労に向けた活動をしていない15~34歳の未婚の者」を指している。 肝心なのが、「学校等の教育機関に所属せず」というフレーズである。 貧しい階級を指す。だから、日本の”NEET”とは一致しない。 ”NEET”と言う単語は、英国では普及していない。 ”NEET”という単語を類型化したのは、独立行政法人労働政策研究・研修機構の小杉礼子氏である。 ”NEET”が増加することによって、何が問題なのか。 青少年犯罪への関与・将来的な失業率の上昇・社会福祉受給者の増加等である。 マスマディアなどがセンセーショナルに事柄をあげ、「働かずに生活することは甘え」という固定観念を植え付けているのだろうか。 日本の4つの類型化された「レッテル」には、実際にはほとんど存在しない「ラベル」が貼られているらしい。これがマスマディアの脅威でもあるのだろうか。 ”NEET”へのメッセージも、「良い・悪い」という区別の範囲や、”NEET”という個人の存在に対しての批評ではなく、社会全体としての言及が必要だ。 人生相談的視点では、つい、個人の存在に偏りがちである。 だから”NEET”を扱う発言には、ファミリー・ヒストリーや、ライフ・ヒストリーなど、性格や特徴を考えなければならない。 ヘルマン・ヘッセの「クヌルプ」は、生産社会(ドイツのマイスター制度時代)から離れた「傍観者」としての人生を過ごす。定職はなく、各地をさすらう。 しかし、彼の気位の高さ、人々を魅了するみずみずしさをもつ「クヌルプ」を自宅に迎えいれることを、人々は名誉なことと好む。 漱石や川端康成の小説にも見られるが、明治時代に、帝国大学等の高等教育機関を卒業しながらも、親の援助を受けながら一日中遊び歩いていた「高等遊民」は、人々から羨望の眼差しで見られていた時代とクヌルプが交差する。 中年を過ぎたクヌルプは、魅力も褪せ、死が近づくにつれ、過ごしてきた漂泊人「Landstreicher」という人生を振り返り、間違いではなかったか、もっと別のあり方があったのではないかと後悔する。 しかし神は「それでいいのだ。世の中の多くの者は定住して生きているが、時にお前のような存在も必要なのだ。」という。 そしてクヌルプは、雪山で凍死する最後となる。
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