17年前の今日も月曜日・・・その日・・・
-今日は”17年前の今日も月曜日・・・その日・・・です。 いっとき日が陰ったが・・・1時間も経たないうちに、またもや強烈な陽射しが部屋に入ってきた(~`~)暑”い・・・(~`~)壊れたエアコンが恨めしい~~~(~`~)この時間34度だそうだがピークは35度を超えたかも・・・そうなると北京はもっと暑いだろ・・・とあちらの絵を見ると・・・何と23度・・・何事が起きたのかと思うような涼しさであるそう言えばと・・・アルバムを見てみると17年前の今日も月曜日・・・(^@^)その日初めての中国行きで北京にいた(~`~)40歳を前にした年。7月第1週の金曜日・・・長年の懸案だった中国語会話の勉強を始めた仕事以外の時間の殆どすべてを費やしていた芝居と日舞を活動の中心から外し余程の場合の手伝いだけとしたそして1年後・・・93年7月17日・・・学習の成果を試すと言う口実で中国初上陸である(~`~)勿論成果はNG ・・・(^@^)全く聴き取れない(^@^)それから17年・・・年数の割に語学力の進歩はないが・・・それでも会話が成立するようになり気楽なひとり旅を重ねて行く内・・・北京は奥地に入るための通過都市経由地の一つとなってしまった・・・(~`~)この当時でも朝陽区を初め三環路の外は開発が始まり埃っぽかったがキンキラビルが建ち並び落ち着いた街並が消えた町に何の魅力も感じなくなり北京離れが始まったのは2000年頃だったろうか・・・IMG_0060 posted by (C)りゅうLONGこの1993年は・・・梅原龍三郎の北京が残っていた最後の年だったのかもしれない(~`~)さて・・・そんな北京の顔といえば故宮・・・日本の城に登れば眼下に町の全景を一望できるが、故宮ではちょっとした高台に上がっても故宮内に有る建物の屋根しか見えなかった溥儀が下界の様子に疎かったというのは納得出来る話であるそう言えば後に名君と称される康熙帝も当初は市井の事には全く無知だったが側室の話からお忍びで市井を徘徊するようになり初めて、民人の飢えや暮らしの実情を知り倒れかかった清朝を立て直したという話がある何時の時代でも為政者と市民の乖離は両者に不幸をもたらし市井の聲に耳を傾ける為政者は両者に幸いをもたらすという話であろう(~`~)さて17年・・・時の過ぎるのは早いものである(~`~)にほんブログ村にほんブログ村内モンゴル&チベット鉄道ディレクターズカットニューバージョン310枚はこちらから・・・・(^@^)CIMG5543A posted by (C)りゅうLONGCIMG6554A posted by (C)りゅうLONGCIMG8073A posted by (C)りゅうLONGCIMG0200A posted by (C)りゅうLONG