「萌え」
ところで「萌え」とはなんでしょう。巷にあふれる美少女キャラなどは、「萌え」の対象であるんだろうけれども、私にはいまいち理解できません(本当です)。【萌える】[動ア下一]も・ゆ[ヤ下二]草木が芽を出す。芽ぐむ。国語辞典で調べても、こんなのしか出てこない。そこで、もう少し調べてみたら、こんなページに遭遇しました。このページによれば、「萌え」とは簡単に言えば、コンテンツ上のキャラクター(漫画・アニメ・ゲームなどの登場人物やアイドルなど)への抽象的愛情表現。またはそれらの持つ外見または行動上の特徴への偏愛。 主に幼女や美少女などといった、かわいらしいもの、いじらしいものを目にしたとき、心で判断するよりも早く、脊髄反射のような感覚で起こる、非常に原始的な感覚。魅了され、激しく心が動くこと。 であるらしい。「心で判断するよりも早く、脊髄反射のような感覚で起こる、非常に原始的な感覚。魅了され、激しく心が動くこと。 」なんていわれても、いまいちピンとこないけれども、聞いた話では、人間には本能的に『小さくて丸いもの』に対して「可愛いなぁ」と思ってしまうらしい。これは、自分の子どもに対して愛情を注ぐという、社会を維持していく上で必要不可欠な行為であり、子孫を繁栄させていく上で身に付いた本能であるという。この本能によって、私たちは小さくてころっとした子猫を「可愛い」と思ってしまったり、なんとなく丸顔のキャラクターを好きになってしまったりするらしいのです。この本能の観点から言えば、「萌え」という感情は、現在使われている文脈ではなく、すべての人間に備わっている、より人間らしい資質なのではないかとさえ思う。別に「萌え」ということばを擁護しているわけではない(本当)。今回こんなことを書いているのは、このページを見たからであり、今の教科書にも「萌え」の概念が盛り込まれるほど、一般的になってきたのか?という疑問を持ったからです。私が始めてこのことばを聞いたのは、大学生のときであり(5,6年まえ)、深夜テレビを見ていたときに、出演者の桃井はるこ(現在のオタク界のクイーンみたいな人)が「モエモエ」という、呪文のようなことばを発しているのを耳にしたときです。はじめは、まったく意味が分からなかったのですが、それが「燃え燃え」ではなく「萌え萌え」だと知ったのは、そのことばを聞いてから半年後ぐらいのことだった。教科書の話に戻れば、このページで紹介されているような教科書は、あまり目にすることはないんだろうけれど、世の中で流行ったものを即題材にするあたりが、節操がない。まあ「『萌え』キャラっぽい」といわれても、そんなにかわいらしいキャラではないんだけれど・・・しかし、小学生のころからこんなファンシーな教科書を使って勉強していたら、そりゃ、馬鹿にもなるわな・・・なんて思わずにはいられません。 たとえば、このページで紹介されているこんな問題も、人を馬鹿にしているとしか思えません。教科書が生徒に歩み寄るのはもってのほかで、教科書はどんなに工夫を凝らしたって、つまらないことにはかわりないんだから、もっと威厳を持って、生徒に接してほしいと思ってやまないです。なんか「萌え」→「教育問題」なんていう意味不明な流れになってしまったけれど、現在児童・生徒と呼ばれている年齢に属している皆さんは、もう少しまともな勉強をしないと、本当に「ゆとり世代は馬鹿だ」という烙印を押されてしまうことになりますよ。今あなたたちが施されている教育・そのカリキュラムは、私が施されてきたものの半分ぐらいでしかなく、それができたからといってふんぞり返っていてはいけないということを肝に銘じておいてほしい。