寸止めプレイのススメ
「プレイ」何という芳しい言葉なんだろう。この言葉をつけるだけで、なにやらいかがわしい香りが漂ってくるのは、気のせいなのだろうか。放置プレイ幼児プレイおしおきプレイ満員電車プレイなどいかんね。話がそれていきそうだ。人ならざる、変態の世界へ。かくいう私は、最近「寸止めプレイ」にご執心。言葉の響きからすると、一人のときに…なんて感じがするが(私だけ?)まったくもって、そうではない。最近世の中のぽっちゃりさんがよくやっている「ダイエット」というものをやってみようかと、思い立った所存でございます。夏に向けて、人目を引く水着を着るためには、あの股が急角度に切れ上がった水着を着るためには、ビーチで数多いる男性の好奇心をひきつけるためには、ここは「ダイエット」しかない。と、年頃の乙女のような思いがふっとわいてきたのでございます。しかし、ダイエットの道は果てしなく遠い。三蔵法師一行が天竺へ向かうのと同じくらい、いや、それよりも長い道のりが私の前には横たわっている。が、そんなことは言ってられない。夏は待ってくれないのだ。とりあえず、運動はする時間があまり取れそうもないので、食事制限からはじめてみようと決心。今週にはいってから、今まで食べていた量の半分ぐらいに減らしてみた。まあ、正直なところ常にお腹がすいている。英語で言えば、I am always hungry.といえる。そう、alwaysは一般動詞の前、be動詞のうしろだったな、なんて確認しつつ、おいしいものを想像して食べた気になったりしつつ、我慢の日々が続いている。でも、日に日に(まだ3日ぐらいだが)食物への欲望が高まっていく。まるで冬眠から覚めたばかりの熊のように。もう、食材の宝庫「コンビニ」を見るだけで、唾液の大洪水が口の中を訪れる。誘惑に負けて入ったコンビニの中でも、星の数ほどある食材を目の前にして、「あのトランペットほしいなあ」なんて、ウインドウ越しに眺めている貧しい少年のように、羨望の目で眺めるばかりだ。いつか「おじさんが買ってあげようか」なんて、誰かが言ってくれるのを待ち続けて…とりあえず、見るだけで買ってしまわないように、そそくさとコンビニをあとにする。こんな状態でいいのか?このままだといつか口の中のダムは決壊して、唾液がふもとの町(胃)を飲み込んでしまう。何か、いい方策はないのか。そこで考え出したのが「寸止めプレイ」この大量消費社会において、商品を「購入」するという行動は、それ相応の満足感を伴った行動である。その商品を実際に堪能しようがしまいが、「購入」した時点で、ある程度の満足は得られる。何か難しい話になってきたが、何のことはない。つまり、簡単に言えば「寸止めプレイ」とは、「食べ物は買うけど食べない」こういうことだ。「お前はあほか」あぁ、みんなのそしりが聞こえる。私をののしっている声が聞こえる。あぁ、ののしるがいい。思う存分私を非難するが良い。「食べ物を買って食べないなんてどういうこっちゃ」「アフリカで飢餓で苦しんでいる子どもたちに申し訳が立たぬではないか」「ただのお金の無駄遣いじゃない?」「もったいないお化けが出るぞ」みんなの心の声が聞こえる。しかし、別に買って捨てるわけではないということを断っておく。一応、一日のうちでお昼ご飯だけはしっかり食べるというマイルールがある。だから、とっておくのさ。待望ののお昼ご飯が来るまで。だって、無性に何かをつまみたくなるのは決まって夜なのだ。だから、夜にコンビニへ行くことが多いのだ。でも、そこで何かを買っても食べないのだ。「明日の昼に食べよう」なんてわくわくしながら保管しておくのだ。私はバカボンのパパなのだ。これを、寸止めプレイといわずして何といえよう。食べたいものを目の前にして、その欲求を口に入る寸前でとめる。というか、その欲望を押さえつける。もう、まさにこれこそ寸止めプレイ。寸止めプレイの王様だ。寸止めプレイの中の寸止めプレイだ。これこそ人間が生み出した英知の結晶といってもよい。だから私は負けない。「食欲」という化け物には。「寸止めプレイ」を実行し続ける限り…「寸止めプレイ」様と共にある限り…今年の夏にあの水着を着るまでは…あぁ、腹減った・・・◆◆追記◆◆寸止めプレイの一環として、ここにおいしそうな食べ物の画像を貼っておきます。お腹がすいたらこの画像を見て食べた気になるためにね。 豚汁だぁ! ピザだぁ! とんかつだぁ! 熱々で食べたいね。名古屋の味 食後のデザートに。