隣人を愛せよ
コロナ、である。3月初めの一斉休校からなんとなくそわそわし始め、4月の緊急事態宣言で完全に日常が崩れ去った。神奈川県の休業要請対象業種に「学習塾等」が入り、私のパソコン教室も休業することに。3年前に始めた小中学校での情報モラル授業支援の講師の仕事ももちろん全中止。収まるまではどうにもならない。情報収集は主にTwitter。新聞、知識人、行政、専門家など幅広くアカウントをフォローしてその発言を追いかけている。自分や家族の健康、地域の外出自粛、企業やお店の休業はもちろん気になっているのだが、ずっと気にかけてきた沖縄のことが、目下最大の関心事である。数年前、沖縄出身の人、それも結構な経歴の方と知り合った。その生の情報は新鮮で、辺野古新基地建設問題やその他沖縄の動向にますます関心を寄せるようになっていた。その愛する沖縄が、このゴールデンウィークに新型コロナウイルス感染拡大の危機に晒されていると聞いて、いても立ってもいられなくなっている。自分の身の回りだって感染拡大しているのだから、そんな遠くの地域のことなんて構うどころではないだろう、と言われそうだ。でも、あえて考えて欲しいのだ。外出自粛が求められている中、やはり居住地以外の観光地に旅行に行きたい方は多かったようで、連休直前、沖縄県知事から「航空機の予約が6万人も入っています。沖縄に来るのはご遠慮下さい。」と緊急メッセージが出た。メッセージが出てから、1万5千人に減ったがまだ万を超えているという報道に、正直、身震いした。分かっている。それぞれ予約した方の事情があり、感情があり、それを妨げることはできない。それでも、これまで2度沖縄を訪問したLukeからしたら、医療資源が決して豊かではない沖縄で感染拡大したら甚大な被害が出ると思うと、感情が高ぶる。石垣島では感染症専門病床が10床以下と聞く。沖縄旅行で出会った多くの人たち。最後の旅行からもう10年以上経っている。でも、大切な出会いはずっと心に残っている。また会いたいと心から思っている。でももし私がすでに感染していて、接触した人々がコロナに感染して、最悪のことが起こってしまったら。普段のゴールデンウィークとちがうのはここなのだ。聖書にこんな言葉がある。この三人の中で、誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人に憐れみをかけた人です。」イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」 (ルカによる福音書 10章36-37節)これは聖書の中でも有名な「善きサマリヤ人のたとえ」の一部である。ユダヤ人が強盗に襲われ傷ついた同胞のユダヤ人を助けず見て見ぬふりをし、ユダヤ人が忌み嫌っていたサマリヤ人がその人を介抱して助けた。「自分と同じように隣人を愛せよ」ユダヤ人が信奉する十戒にしっかり書いてあるのに、律法の専門家が隣人とは誰かを知らないという、辛辣な皮肉とも取れるたとえ話。沖縄の人々は、私たちの隣人だ。本土の私たちが心からそう思えるかどうか。コロナのことだけではなく、辺野古に象徴される米軍基地偏重のことも。そう思えれば、次に取る行動は決まってくるはずだ。沖縄やーぐまいプロジェクト「おきなわ、休業中。」彼らのメッセージに遠くの隣人を重ねて思いをはせつつ。5月3日は憲法記念日。同じ憲法のもとで生きている沖縄の人々と、これからも共に生きよう。日本国憲法 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。石垣島・川平湾(2007年11月16日撮影) 石垣島紀行(その2)から再掲