それでもせんどうなら廻っている
さても 邪魔な音があるものだ。 astrologyを日本語訳すると占星術になる。 この訳はアレクサンドリアの悲劇の繰り返しだ。 astr=星、logos=言葉、果たして何処に占があるといふのか。 日本語のギリシア語源英語は混乱している。 天文学という言葉はastr(星=天) logos(言=文)に最も近いが 実体はastr nomos(法)だ。 意味が逆転している。 astr logosを天文学と訳したら割と間違いではない。 整理して、各々の学問を最も直訳すると astrology:星文学 astronomy:星法(則)学 になる。しかし、実体験に基づく経験論的学問という意味では astrologyだって星の持つ法則が興味の対象だ。 日本語がastronomyにおいてastrに天なんて訳語を持っているから ouranos=天の行き場もまたなくなっている。 勿論ouranosを語に含む外国語はそんなにないが、 プラトンのイデア界等の話になるとouranosを天と訳さなければならないと うるさくいわれるものだ。 聖書もそうだろう。 天にめしますはen tois ouranoisで en tois asteriではない。 ouranosとastrの違いもまた日本語で混乱しているところだ。 なんにせよ、astrologyのなかで 日本語訳語の占星術がそれを占いに使うと限定したことで ギリシャ語を見ずその日本語訳の語面だけから判断した 宗教家達によって 多くの無意味な憎しみが生まれている可能性がある。 こういった憎しみはおおよそ 憎む相手に対する無知から生まれているのだ。 占いは星の規則、astrologyを如何に使うか次第だ。 astrologyから未来予見を除けば ユング心理学と同じようなものになるだろう。 多くのastrologerがユング心理学を学んだ人であるように。 ユング心理学を占いに使うかどうかだ。 astrologyそのものは占いと切り離されていても 特に問題はないと言えるだろう。 そういう意味ではastrologyは 占いを嫌う宗教と共有できる地平に立てる。 一部のイスラム教に神秘主義が存在しているように。 少なくともastrologyは 未来の事であろうと原型論の議論であろうと ヘラクレイトスの断片が デルポイと巫女について説明しているのと同じように それは象徴でしか物を語れない、 詩や芸術のようなものなのだからだ。 ユダヤ教やキリスト教のある一定の宗派が占いを嫌うのは 様々な理由があるだろう。 ただ単に、 後ろの世代が前の世代を嫌ったということ。 それはつまり 一神教に対するシャーマン的世界観、 バッハオーフェンの言うアプロディーテー 及びデメテルと少しのディオニュソスの時代を 現代のネット上の女性嫌悪の男達が 成人女性達を嫌うようにその女性的要素を嫌うから 占いを嫌った、 ということも含み、またもうひとつの要素として 中世神学が議論しまくって近代哲学の基礎ともなった 人間の自由意志の問題とがある。 占いが人間の自由をさまたげるというのが大義名分だが 一応それは人によってはレトリックにすぎない。 この自由の議論は賢明な者ならば 自由の強制、つまり 自由でなければいけないという不自由な状態 というパラドクスに迷いこむのである。 かくて さはあれど 時折、世界はそういう宗教や哲学の制約を超えて 自由なのではないかと思うことがある。 詩のように 象徴でしかものを語れない、 即物的論理としては言語化できないその感覚が。