メタルゴッデス
Had Gadya - Chava Alberstein ヘブライ語。ナタリーポートマンがイスラエルの周辺国で車に乗ってる映画の曲。去年くらいに見たが、いかんせん車に乗ってるシーンばかりで、酔って、半分くらいでみれなくなって、気持ち悪さがずっと続いた。(勿論、ブラックスワンなんかは、精神的にはこちらのほうがよほど気持ち悪いが、車には乗らないので、ちゃんと最後まで見れます。) 最近も、中央アジア周辺国の史跡や歴史的文化についてのテレビ番組とか、内容がとても面白いのだが、(勿論、中東・中央アジア=戦争と多くの人が連想するような、テレビが結構好きな中央アジアの現在の戦争時事ネタには全く興味がありません。)これと同じく、悪路で車の中で移動する映像が多くて、気持ち悪くて見るのが辛い。 ヘブライ語、どうも、ッハの音(ドイツ語のch、現代ギリシャ語のχ、スペイン語のg,j,xの強い版?)と、シュの音(強め?)が多い。ドイツ語も、chとschは、大好きな音で、語頭のsを、素直にスと読めばいいものを、シュと読む(sprechen=シュプレッヘン)。 ドイツ語の発音が疲れる要因として、g(ガ行),d(ダ行),w(ヴァ行),s(ザ行)の多様と共に、このchの音とsch(及び語頭のs)の音の多用がある、きがする。 とすれば、chとschを多用する、ヘブライ語も、(日本語話者である自分にとっては)たぶん喋ってて頭のうしろあたりの肉が結構疲れる言葉だろう。 ヘブライ程、先天的な概念なのか、後天的な概念なのか、わからないものはない。いわゆるヘブライ神秘主義と呼ばれる、後の正統なキリスト教にとって(母体のくせに)"異教的"アンチキリストとなるであろう世界観は、古代ギリシア的なものからも読み取れるかもしれないが、具体的な体系化はひどく最近である紀元後13世紀くらいのスペイン(キリスト教徒にとっての、かつての異国である)であるようだ。 実際、教典の翻訳方法というものも、時代の考え方から逃れられず、古典語という無限の解釈が存在する言葉に、その時代の考え方に合った訳語を当ててしまうのだ。たしかに、いまだに版によってはおそらく、魔女狩りのひとつの原因と言われる、とあるヘブライ語/ギリシャ語に言葉の当て方のまま訳され、多くに読まれているという事態でもある。 ピュタゴラス、ヘラクレイトス、プラトンといった"異国を学んだ(今でいう)ギリシャ哲学者"と言えるひとたちが学んだものは、ペルシア学だったのか、ヘブライズムだったのか。ピュタゴラスは、確かに、いま残っているヘブライ神秘主義と同じ思想を持っているが、ピュタゴラスが先なのか、ヘブライズムが先なのか。 現代のキリスト教が、ヘブライというイメージをつくったのだろう、とは思っているが、結局よくわからない。色々なヘブライズムのなかで、進化心理学みたいな歴史上のサバイバルゲームで生き残った一定のヘブライズムが、ヘブライズムを規定しているのかどうか。 歴史とは、人は常に氷山の一角しか知れないもので、氷山の残りの半分以上は永遠に明るみにはでないものだが。