詩人といふエルゴス
ギリシア語のτκπの好きさは異常。この三文字に関しては、後ろにhをつけるth,kh,ph,であるΘχΦまでのこしているほどである。デーヴァナーガリでは、kh,ch,jh,th×2,dh×2,ph,bhが残っている。が、ギリシアはお気に入りのこの3文字のhを残した。(語頭のρもrhにはなるが。) σもギリシア語が相当好きな音なので、τκπσである。というよりτκπのこれらの音は、歴史が古いというか、人間生活の基本をさす語に多いような気もする。ΘχΦは超越的な世界に関する事柄に多いような気もする。σは俗的神的どちらにもある印象。 πではじまるポイエーテースは詩人を意味し、ポイエーテースの元の意味であるポイエオーは「つくる」ことを意味する。 πは疑問詞の語頭である、英語やドイツ語ではwであり(what,when,where - was,wenn,wann,wo)、ラテン語系統ではqである(que,qui,quando)。サンスクリットのk系統(kim,kva)はラテン語系統のqと関係があるという。pou,poios,pωsとπはギリシア風なのである。 オートポイエーシスというものが生物学とかシステム論みたいなので使われているみたいだが、ギリシア語の意味では非常に面白く、auto(autos)-poiesis、autosは彼というよりも自分自身、自分自身でつくること、tiktω(産む)ではなくpoieωがつかわれているが、確かに生物学的なミクロスな世界ではティクトーよりポイエオーという感じはある。ギリシア語の意味でこの生物学の用語が分かった気になれるのである。(細かい事は知らん。) 結局、哲学的にポイエオーとは何か?は大いなる命題なのである。何故世界は発生できたのか?が何故ものごとはポエイオーできるのか?と同じ意味なのである。 ロゴスをポイエオーするポイエーテース(詩人)という仕事は、古代世界の感性への最大の入り口であるεν αρχηι ην ο λογος 、はじめに言葉(ロゴス)があった、という句に通じるのである。 詩人のポイエオーは、オートポイエーシス、つまりものごとがポイエオーする理由に迫るものである。 ヤーコブ・ベーメのロゴスの音によって説明される聖書論は、彼が聖書をそのような古代のポイエーシス概念によって「詩的に感じ取った」話である。言葉によって世界をつくるという神の行為をポイエーシスによって解いたのである。そのとき、神の仕事はポイエオーであり、聖母の仕事はティクトーであった(聖母がテオトコスであろうともクリストトコスであろうとも)。 ベーメは、処女信仰による女性嫌いの敬虔なキリスト教徒よりも救世主と彼の時代に近い古代の詩人であったのだろう。