すべりだい
本能が理性よりも弱ければ抑えられて逆なら抑えられないってだけだしそれらはただの力関係の天秤でしかない。合理的に考えればそもそもなんで生命って滅亡しちゃだめなのかよくわからんし。本能がそれを支えてるだけだ。 自分の体を増やせば、自分が増えるという欲求が、最初の生命をつくりだした。というより、その結果がこれだ。生命をつくりたくて、自分の体を増やしたんじゃない。自分の体を増やすという現象が起こった結果、生命というかたちになった。 人が増えて何か自分が得するのか?増えすぎたものをのせた皿は、重みで全てを巻きぞいに崩れ落ちる。理性はそう考える。 あるいは個性とか個人主義を持ちすぎた。本当は何も考えないで生まれ何も考えないで生きて何も考えないで死ぬのが生命ってもんだった。単細胞分裂を起こす理由は本能であり、遺伝子なんてものを伝える理由も本能だった。本能が種を繁栄させようとするのは、それがもともとは宇宙内で起こった分裂という現象だったからだ。本能とは現象の成れの果てだ。(そもそも現象が起こることはわかっていても、何故現象が起こるかを探求すると無限に続いてしまう)だけど本能が増えすぎてそのうちいくつかが懐疑になり理性となった。理性とは個人主義だ。他人のことを自分で考えることだ。他者と個人の乖離だ。他人を含めた普遍的幸福を考えることだ。経験論とその伝聞しか情報はないのに。個人という概念があるから理性はあまりにも本能から離れていった。