linnansa vanki
世の中には受動性と能動性というアーキタイプがある。 自由意志主義者は能動的で、運命論主義者は受動的かもしれない。 つまりは、自ら運命を定めることか、運命を知ることか どちらが好きかということだ。 占い好き、という要素は、基本的に受動的アーキタイプだろう。 その逆が、能動的アーキタイプで、受動性と能動性のバランスは ホロスコープの十二星座でも研究される。 星座によって差異があるが、基本的に半分ずつ男性星座と女性星座がある。 男性星座は能動性に関係があり、女性星座は受動性に関係があると言われる。 決して、男性は能動的で、女性は受動的、と言うわけではない。 ホロスコープ中の様々な要素のなかが男性星座に属しているか、 それとも女性星座に属しているか、でそれは決まるからで、 本人の性別は基本的にその次の話だ。 もしも、男性、女性という言い方が俗的すぎるなら、 ユング心理学風にアニマ、アニムスと言っても良いだろう。 面倒くさいからしないけど。 自分は男性だが、ASC=女性、太陽=女性、月=男性、という意味では 結局のところは女性=受動性が勝っている。 自ら運命を切り開こうとすると、いつもまともなことがなく、 トラウマがどんどん追加されていったり、 何か強烈に軌道修正されたりする感じがあるが、 オカルティックな運命論に身を委ねると、なぜか色々うまくいくのである。 能動性が勝っている人はその真逆の感覚を受けるだろう。 その側は、自ら運命を切り開こうとしないと、何もうまくいかない、 占いを信じるといつも裏切られる、という気分を持っているのだろうし、 実際そうであってきて、それを元に性格形成がされるのだろう。 この場合、受動性と能動性はお互い正反対の生き方をしなければいけないし、 お互いを見て、"あんな生き方して、愚かだなあ"とお互いに思うだろう。 しかしながら、お互いが結局お互いにあった生き方をするのが良い。 それが(受動性側からの意見だが)ホロスコープの究極の教えであると思う。 これらの受動性と能動性の戦い、占い好きと占い嫌いとの間の戦い、 その究極こそが、 神学論争、正統と異端、魔女狩りといった、きわめて血なまぐさい戦いだ。 まあ、勿論、例えば占い師のジプシーの取り締まりには、 占いでジプシーが詐欺や盗みを働くから、といった社会的な理由もあるが。 なんにせよ、やはり占い好きと占い嫌いは、さっきのように、 女性星座と男性星座の司りによって分かれるというのはあるような気がする。 男性星座だらけで、占いを否定しないひとは、今の所知らない。 そのASC,太陽,月の、三つの性別がふつうは重要だと言われるので、 その他の要素の性別はそれよりは蛇足かもしれないが、 他の要素で言えば自分は、 ASC,MH,DS,IC,太陽,海王星,冥王星,ノースノード=女性星座 月,水星,金星,木星,火星,土星,天王星=男性星座 世間的、生活的な星はおおよそ男性だが、 人生において核心的で本質的な要素はおおよそ女性星座だろうか。 例えば、自分の生まれた頃(1988くらい)は、 世代を表す、ゆっくりな動きの土星,天王星,が男性星座で しかも火の属性の星座なので、特に牡羊、獅子、射手といった 火で男性星座だと、より男性要素、しかも火ばかりの人になり、 要素の9割以上が男性星座しかも火星座である可能性がある。 なので、同級生には女性星座及び火以外の属性が中心になる、 牡牛、水瓶、魚っぽい人を除いて基本的に良い思い出が無く、 圧倒的な暴力とプライド的で表面的なものが中心な世界の前に、 そういうものに何の価値も感じないような 女性星座人間はいじめられるしか道がなかったのだろう。 同時に、1988-1990あたりは、バブル絶頂?だったかな? ちなみにその数年前だと海王星まで射手座(男性、火)だったかと。 眉毛の濃くてマッチョな登場人物の漫画などが好まれ、 また極めて物質的で剛胆さにモノを言わせる時代だったのではないだろうか。 さっきの、土星,天王星,海王星が後に一斉に山羊座に入って、 90年代中盤から、よりオカルティックで破滅的な美を楽しむような、 エヴァンゲリオンとかあの頃の日本映画や初代PSの名作ゲームとかが 生まれたようなきがする。