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マックの文弊録

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2009.03.16
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カテゴリ:IT世界の話
◇ 3月16日(月曜日); 旧二月二十日 庚申(かのえ さる): 先負

3.5インチのフロッピーディスクが今月一杯で生産中止になるのだそうだ。
これは、世上の諸般を明快に切り捨てる(言い換えれば過激な)メルマガを発行しておられる畏友からの情報で、彼もメルマガの読者からの投稿で知ったそうだ。
従って僕自身が「裏取り」をした訳ではないけれど、畏友はIT分野で一家を為すといってもいい方だし、投稿された方もいい加減な風説を流す方ではなさそうだから、概ね正しい情報だとしても良いと思う。

確かに最近はフロッピーディスクというものは見かけない。僕の使っているノートPCもデスクトップPCにもフロッピーディスクドライブ(我々の世界ではFDDと符牒で呼ぶ)など付いていない。
DVD/CD ROMドライブやUSBのスロットが幾つか付いているが、FDDが標準装備でなくなったのはもう暫く前のことだったと記憶する。

僕がITに手を染めたのはもう30年以上前のことだった。
フロッピーディスクは日本人の発明だそうだ。(本当かどうか確かめたことは無い。)コンピュータの外部記憶メディアとして出てきたのは、最初は8インチのフロッピーだったと思う。(短い期間だったけれど12インチのものがあったような気がするが自信が無い。)8インチで容量は確か256KBだった。256KB!
それでも、それまで見慣れた磁気テープやハードディスク装置と較べて、その軽薄さ簡便さには感動した。Floppyという言葉は、着物などが風でばたばたする様子とか、だらだらして締りが無いという意味だ。そういう「軽い」言葉が、重厚な(当時はそういうイメージだった)コンピュータの世界に使われるようになった事にも感動したものだ。

その内5インチの大きさのフロッピーが出て、程なく3.5インチの大きさになった。容量も1.44MBになった。8インチ時代と較べて、面積が5分の一になって容量が5.8倍になったのだから、記憶効率は30倍弱になった訳だ。
これは一見大したことではあるけれど、メモリーチップそのものやMOなど「固い」記憶メディアの記憶密度の向上スピードからすれば遥かに及ばない。やはり「ダラダラして締りが無い」素材だと限界がある所為だと、将来の衰退の予感はあった。

フロッピーの次に消えるのは何だろう。
MOは今ではもう余り見なくなった。DVDやUSBメモリーはどうなんだろう。こういうメディアは更に記憶密度を増しながら暫くは続くんだろうという気がする。

しかし、インターネット回線の高速化が進みこれがどんどん普及していくと、そもそも情報を手許で持っている必要があるのかという気がして来る。情報だけではない。処理系つまりプログラムだって自分のパソコンにある必要は無くなるだろう。
もう既にデジカメの写真をネットワーク上に預かるサービスは多くの人が利用するようになっているし、SaaS(Software as a Service)といって、ネットワーク上のソフトウェアを「賃使用」するサービスも普及し始めている。
つまりネットワーク自体がコンピュータになり、記憶装置になる訳だ。

こういう流れを「クラウドコンピューティング」という。Cloud Computing、つまり「雲計算」だそうだ。要するに「装置」が何処に在るんだか分からない。分かる必要も無い。雲から雨が降ってきてそれに濡れるように使えれば良いのだという感じなのだ。
そうなると、パソコンを「パーソナル」で持つ必要も無くなる。実際今まで色々な機械をしこたま売って儲けたサンマイクロという会社の誰かエライ人が、「世界には数台のコンピュータ(サーバー)があれば充分だ。」とのたもうている。(散々儲けた今頃になって!)
しかしいつもながらIT世界での新語の作り方はダサイ。このクラウドコンピューティングなんかすぐに廃れさせて、もっと粋でしっくり来る名前にしなければならないと思う。

何れにしろこの傾向が進めば、なにより重いパソコンを持ち歩く必要は無くなるから、色々物を持って歩くのが大嫌いな僕は歓迎だ。家の書斎(ということにしておく)の机の上だって、パソコンが我が物顔に居座るようになって久しく、はっきり云って邪魔だ。机は古来本の一二冊も広げてその上で居眠りをする場所だったはずだ。

上のようになれば、手許にはネットワークにアクセスできる装置があれば良いのだから、これくらいの機能ならば携帯電話の大きさがあれば充分だ。ただ、人間の目と手には相応の大きさを持ったインターフェースがどうしても必要だから、表示用の画面と操作用のキーボードには一定以上の大きさが必要ではある。僕としては背広の内ポケットや、シャツの胸ポケットに入れて不自由を感じない程度の大きさ・重さであれば歓迎である。
尤も、雨に濡れるようにコンピュータが使えるようになっても人間が進歩するかどうかは、又別の問題である。

さて、フロッピーが生産中止になると、フロッピーにストックされたままになっている色々なデータを他のメディアに変換するサービスなどがビジネスとして出てくるのかもしれない。ビデオについても同じようなサービスがあるのだから、もう誰か始めようとしているものがいるに決まっている。
こういう時に機を掴んで、すぐに動けばお金を儲けることが出来るのだろうが、僕などはそう思って何もしないし、しようにも元手が無いから、せいぜいブログを書くくらいのものである。






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最終更新日  2009.03.17 11:03:37
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