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☆ 8月20日(金曜日) 旧七月十一日 辛丑(みずのえ とら) 大安:
【夜間飛行 ? 続き】 「夜間飛行」は約半日以内の時間に起こった出来事の話である。ファビアンの郵便機がサンフリンからブエノスアイレスに向かって飛び立った夕刻から、嵐の中で消息を絶つ真夜中過ぎまでの、短い時間の出来事が、文庫本にして120数ページ、23章の中に凝縮されている。 今度、随分長い時間の後で再読してみて、私には操縦士ファビアンよりも、むしろ郵便機の会社の社長であるリヴィエールという人物が強く印象に残った。 リヴィエール社長は、まだまだほんの黎明期にあり、世論や官庁の批判も疑念も強い中で、夜間飛行による郵便業務を何か軌道に乗せようとしている。 そういう中で、リヴィエールは不可避的に操縦士や通信士の命を連日、夜間飛行という危険に直面させなければならない。しかし、彼は操縦士に対して厳格に規則遵守、時間厳守を求める。天候のせいで遅れても、遅延は遅延だと減給や処罰の対象とする。空を飛ぶ者たちだけではない、地上勤務の者たちにも、彼の態度は極めて峻厳である。他社からの部品に責を求めるべき不具合であっても、容赦なく長年献身的に働いてきた人間を処罰し切り捨てる。リヴィエールは操縦士を含む社員に対し、決して情状を斟酌したりしない。あからさまな同情もしないし、ねぎらいの言葉をかけることも無い。 物語の中でリヴィエールの心情はこう記される。(以下は光文社文庫の二木麻里さんの翻訳文による。以後の引用も同じです。) 『・・・リヴィエールにとって人間とは、こね上げられるべき蝋の素材に過ぎなかった。この物質に魂を与え、意志を創造しなければならない。だが峻厳さで人びとを服従させるのではない。自己の限界を打ち破るよう彼らを駆りたてることが重要なのである。 あらゆる遅延を罰すれば、それは不公平なことだろう。しかしすべての飛行場に、出発への意志をもちつづけるよう仕向けることになる。彼はその意志を創り上げていた。 飛べない天候を、休息への誘いであるかのように歓迎する、そんなことは誰であろうとゆるさない。ゆるさないからこそ作業を貫徹する気概が生まれ、名もない雑務係までが待機時間をひそかな屈辱と感じるようになる。』 ・・・・ 『(リヴィエールは)おそらくは部下たちを苦しめていただろう、だが強い喜びも与えていたのだ。「ひとは追い込まなければだめだ」と思っていた。「苦しみと喜びが共に待つ、強い生にむけて追い込んでやらなければだめだ。それ以外、生きるに値する人生はない」』 唐突だが、私は最近「真夏のオリオン」という映画を観た。しばらく前に封切られた映画だが、終戦記念日に合わせてテレビ放映されたのだ。 これは太平洋戦争の終結の間際、沖縄沖に集結する米軍輸送船団に、最後まで残った日本帝国海軍のイ-77号潜水艦が単独で戦いを挑む物語である。潜水艦の艦長は倉本という若い海軍少佐である。倉本艦長は冷静にして深慮を巡らす艦長で、乗組員に接する態度は当時の帝国軍人とは思えないほど優しい。言葉遣いも命令口調ではない。同乗している回天の乗組員が、最後の出撃を要請しても、「もったいない」と肯んじない。もったいないとは、「そんなことで一つしかない命を捨てるのはもったいない」という意味だ。米軍駆逐艦の爆雷攻撃を受けて、海底に着艇し逼塞している間に、最年少の兵に、陸に残してきた女性から送られた手書きの楽譜を渡して、これをハモニカで演奏するように頼んだりする。楽譜に書かれている曲の題名が「真夏のオリオン」である。 映画は戦後随分経った現代、ハモニカを吹いた少年兵が、訪ねて来た倉本艦長の孫娘に回想を語る形で展開される。 リヴィエール社長と倉本艦長。この二人とも優れたリーダーであり指揮官である。しかし、二人のスタイルは、片や極めて厳格で、部下の前では「私」は無く、片や部下に優しくボタンのかけ忘れまで気遣ってやると、大きく異なる。 リヴィエール社長は、実際には厳格一色の人間などではなく、心底では社員に対する親愛と同情に溢れている。しかし、それを表に出すことを自らに禁じており、それ故にいつも大きな葛藤を抱えている。彼は孤独であるが、その指揮、命令は誤ることは無く、社員からは恐れられながらも忠誠心を得ている。 倉本艦長は、乗組員に対する親愛と同情を隠すことはしない。しかし、戦闘の局面々ゝにおいて彼の下す指示・命令は実に的確である。そして、やはり部下からは深く信頼されている。 こうして二人を並べてみると、指導者、或いはリーダーとしてはどちらがより優れているといえるのだろうか。 リヴィエール社長と倉本艦長、両者のマネジメントというものに対する姿勢は、お互いにヴェクトルが逆向きである。 片や部下に対して、優れたものも劣ったものに対しても、一段と高い目標とか理念というものを掲げ示し、それに向けて邁進することを督励、というよりむしろ強制することによって組織を統率していこうとする。 一方は、同朋意識や信頼感を醸成することで、組織を束ねていこうとする。 どちらがどういう結果をもたらすかは、全く予想は出来ない。目標や状況によって、どちらにとってもどんな結果でも有り得る。両者に優劣などは付けられないのだと思う。 一般には、倉本艦長のほうが好まれるだろうし、リーダーとしてもその方が心地よいから、リヴィエール社長より倉本艦長型になりがちだろう。 私もそうであった。 従業員を励まし、褒めてやり、一緒に酒を呑み、ご馳走し、悩みを聞いてやり、相談に乗りと、殆どおもねるような有様だったように思う。当時は、彼らを励まし、動機付け、親愛の情をつなげば、彼らはやる気を出してくれ、奮起してくれ、その結果会社も報われるだろうと信じていた。 結果はしかし、悉く失敗であった。やる気を出すはずの彼らは、それぞれ勝手な方向に動いただけだった。危機に臨んでもそれまで「一蓮托生」などと言っていた奴から先に遁走していった。 私は倉本艦長などには到底なれなかったのだ。 或いは倉本艦長のマネジメントスタイルは、個人としての力量に優れ、能力的にも精神的にもある程度以上の水準を持っている集団においてのみ成立し得るものであるのかもしれない。 リヴィエール社長の場合、夜間飛行を軌道に乗せるためには、自然の脅威、人為的過誤、そして当時の政治的圧力が障壁として立ちはだかっていた。そういう中で、局所的な事故や小さな成功に囚われず、遥かなゴールを目指して進み続けるためには、自らは同情と統制の間の矛盾と葛藤を抑え込みつつ、従業員の好意など期待せず、挑戦し続けなければならない。そのこと自体が、そしてそのことのみが、自分にとっての成功なのだ。そういうことなのかもしれない。 私はそういう点でも、思えば極めて軟弱であった。 従って私はリヴィエール社長にも到底なれなかったのだ。 久しぶりに再び巡り合ったサンテグジュペリの「夜間飛行」は、短い物語にも関わらず、私には随分重いものを渡してくれてしまったような気がするのだ。 ところで、幾ら赤道近くの海だとはいえ、真夏にオリオン座が見えるものだろうか?仮に南半球に行っても東西は変わらない。天空を巡る星座も空に昇ってくる時期は変わらないはずだ。今はそちらの方が気になっている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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