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テーマ:気になったニュース(31005)
カテゴリ:刑法、犯罪学・刑事政策、犯罪心理学
私は以前の記事とかでも悩ましい記事を書いていますが(「北九州市の連続殺人事件、被告人両名に死刑判決」参照)、
刑事政策を専攻して死刑について研究して(させられて)いた経験から、死刑制度については廃止論寄りなんですよ。 でもねえ、これはどうかと思う。 「<宮崎勤死刑囚>月刊誌「創」に手紙 『死刑は薬で』」(yahooニュース毎日新聞 6月6日) 「宮崎勤死刑囚が雑誌に手記 初めて死刑に言及」(朝日新聞 2006年06月06日) 「『絞首刑は残虐』月刊誌に宮崎勤死刑囚の手記」(産経新聞 06/07) 「宮崎死刑囚は、投身自殺者も落下中は恐怖に陥るというエピソードを例に挙げ、日本の絞首刑について『踏み板がはずれて下に落下している最中は、恐怖のどんぞこにおとしいれされる。残虐なめにあわせられる』と批判している。 これに対し、薬物を使用した死刑執行については、『死刑確定囚は『あと10分ぐらいで私は死んでいくのかあ。(中略)被害者遺族にはやはりすまないことになったということだろうなあ』と、そのよゆうから、反省や謝罪の言葉を述べる確率もだんぜん高い』と“評価”している。」(上記産経新聞) 確かに、死刑制度について論じられるにあたって、日本の死刑制度の残虐性という論点はあります。 でもねえ、学者や弁護士なんかが言うらともかく、 死刑にされる本人がこういう発言をするのはどうかと思いますよ。 薬物による死刑執行であれば余裕があるから、謝罪の言葉も出せるかも、って そうお考えになるのであれば、今のうちにたくさん謝罪の言葉を言っておいた方がいいのでは? これでは被害者も遺族も救われない。 拘置所や刑務所にいる間に、よく考えてほしいところなんですが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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