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カテゴリ:旅に出て人と会う
【9月17日・木曜日】 11時発のトルコ航空機でコンヤに到着したら、空の一角からものすごい轟音が聞こえて来て、トルコ空軍の誇るアクロバット飛行隊「テュルク・ユルドゥズラル Turkish Stars トルコの星達」の4機が突如として地平線から現れた。 ちょうど自分の降りた飛行機を撮影していたので、お姫様カメラにもかかわらず、何枚かキャッチ出来た。現れた次の瞬間にはとんでもないところまで飛んでしまうので、本当に一瞬の勝負だった。 飛行機IĞDIR(ウードゥル)号から降りて写真を写し、また歩き出した時でした。 突然、真っ赤な機体の「トルコの星達」4機が現れました。(左下の飛行機雲) たちまち、中天に躍り出たトルコの星達(一番上の雲の右下) 上空でややこちらに機首を向けて近づいてきます。 瞬く間に空港ビルを飛び越え消えて行くトルコの星達4機(ビルの左上に小さく赤い機体) ズームがついていないのでムーズムズする時があるけど、まあ、たまにはラッキーなことに、こういうのがちゃんと写っていたりするから私の腕前もすごい。 空港にはアブデュラーさんが出迎えてくれていた。2004年2月頃からヌレッティン先生の紹介で十年余りの付き合いとなり、何度も自宅にも伺って家族全員と知り合いだった。9月2日に亡くなったというお母さんにもお世話になったので、今回のコンヤ来訪の一番大きな目的がお悔やみと墓参なのである。 海抜1,000メートル以上の高地で、どこまでもまっ平らに続くその地形は、イスタンブールとは正反対だが、12世紀13世紀にはセルチュクル(ルーム・セルジュク)帝国の首都として栄えた。 この古都で2005年に、聖人メヴラーナやその一族の廟所となっているメヴラーナ博物館のCDの日本語版訳と吹き込みを任された縁から、自分もよく知らなかった聖人の業績に触れ、日本ではほとんど知られていないメヴラーナについて研究したいと思ったのが、私とコンヤの深い縁の始まりだった。 コンヤのまっ平らな市街地を一望する郊外の高台の上に、今はアブデュラーさんが当主であるチャーダッシュ家の4階建ての豪壮な邸宅がある。トルコでは香典の習慣はないが、家族の悲しみを和らげる意味で、弔問には甘いものを持参するようなので、私もイスタンブールから用意して来ていた。 アブデュラーさんのお父さん、姉さん達、妹さん、奥さんと3人の子供達にお悔やみを言い、昼ご飯をご馳走になって、そのあとご近所の奥さん達とも一緒にチャイを頂き、3時過ぎにまたアブデュラーさんに送られて、市内で花を少し買って墓参りに行ったのだった。アブデュラーさんがブロックの不揃いな墓地の通路の、小さな段差にまで私の足元を気遣ってくれるのが嬉しかった。 墓参りのあと、アブデュラーさんはタンドル・エクメイ(掘った穴の中で焼いたパン)を作っている小さなフルン(パン屋)に連れて行ってくれた。家庭の主婦達が作るこのパンを食べ付けている人は、工場のオートメーションのパンなど目もくれないと言う。 パンが主食のトルコでは、どの町にもたくさんのパン屋があり、一日3回くらいパンを焼いて、常に焼き立てのパンを提供しているが、このタンドル・エクメイは、口に胃にずしりと食べ応えのあることで知られ、アナドル(アナトリア)の伝統的な手焼きのパンとして、いまもたくさんのファンに支えられているという話だった。 この機械で大量の小麦粉を練ってパン生地(ハムル)を拵えます。 タンドゥルと呼ばれる穴になったかまど。ここで一定の大きさに ハムルを丸めて、かまどの内壁にぺたっと貼り付けパンを焼きます。 あとあと焼けて行きます。かまど係は大忙し! [一つ持っていきな~」とお土産に貰っちゃった。わ~い! ちぎって食べたら、 アブデュラーさんの言うとおり、ほっぺたが落ちそうでした。もぐもぐもぐ。 フルン(パン屋)の外見。 5時少し前、アブデュラーさんにはユジェルさんのオフィスに送って貰った。そこにはしばらく前から浅田ミチコ先生も待っていてくれた。 いまコンヤではアラエッディンの丘からまっすぐにメヴラーナ博物館の前の広場でちょっと道がカーブし、そのあとはまたまっすぐにセマーの行われるメヴラーナ文化センターや、新しく出来た1万人収容のスポーツサロンなどの前を通り抜けて、カラタイ大学までトラムワイの線路が敷かれ試運転中だった。 新しいトラムワイは、アラエッディン駅で旧トラムと乗り入れ、 終点セルチュク大学まで繋がることになりました。便利~! 空港まで行かんかい、どうせなら。とみんなが思っています。 来週、バイラムには開通するのだそうだ。バイラムが終わると、私も2年間コンヤで親しんだミチコ先生がイズミールに出来た新しい大学に転職するため、コンヤを去ることになる。イズミールも距離的にはコンヤよりちょっと遠いだけでそう変わらないのだが、やはり会いにくくなると思われるので、今晩と明日、宿をお願いしてたくさんお喋りをしよう、と約束してあった。 ユジェルさんの終業時間が終わり、ポストニシンのファフリさんに電話を入れると、10分以内に車で迎えに行くので待っていてください、とのこと。ほどなくファフリさんが来て私達3人をまた自分のオフィスに連れて行ってくれた。 広いメヴラーナ文化センターの一角にある執務室のファフリさんは、「コンヤ・トルコ神秘主義音楽楽団本部」のミュドゥル(楽団本部長)であり、同時にメヴラーナの神聖な儀式セマーでは最高責任者であるポストニシン(道場長)を演ずる唯一人の人で、1961年生まれの54歳、188センチの長身と言い、役目上、口髭・顎鬚を生やしてはいるがたいそうな美男子で、立ち居振る舞いから話し方からすべて上品そのもの。 問題は遠い姻戚関係にある人から持ち込まれた法律相談だそうで、その相談者一族の、日本に長らく住んだ、とある男性の死後の遺産相続問題に関することだった。日本語の書類が幾枚もあることから、相談者が顔の広いファフリさんに頼み、ファフリさんはユジェルさんと私に助力を求めたのである。 楽団本部長室で2月以来7ヵ月ぶりの挨拶をした後、早速本題に入り、3時間くらいの間に相談の当事者やその他あちらこちらに電話連絡を取りながら話を進めた甲斐があって、ひとまず解決の糸口に繋がるようにしたところで、時刻は9時になろうとしていた。 ファフリさんが3人を夕食に招待してくれた。途中自宅の前から夫人のミヤセさんをピックアップ、そこから程遠からぬ大きなレストランで、楽しく歓談しながらご馳走になった。 右からファフリさん、ミヤセ夫人、ミチコ先生、私、ユジェルさん撮影。 食後、ファフリさん夫妻はまずユジェルさんを自宅の近くまで送り、次にミチコ先生の自宅前まで私達を送って来てくれた。私は二晩とも泊まらせて貰いたいと頼んであった。ミチコ先生とのコンヤでの最後の日々を出来るだけ長く一緒にいたいと思ったのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年10月02日 19時29分10秒
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