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madamkaseのトルコ行進曲

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2017年12月09日
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カテゴリ:旅に出て人と会う

【 12月9日・土曜日 】


 昨日、アブデュラーさんの家に帰りついたのは6時少し過ぎ。早速台所を覗いてみると、奥さんのメラハットさんと次姉のミヤセさんがキョフテ(肉団子)をこしらえ、茄子の薄切りをさっと油通ししたものでそれを包み、上にトマト、ピーマン、さらにもう一枚トマトを一切れ載せて、オーブンのトレイに並べ、ソースをかける作業を進めているところでした。長姉のアイセルさんは、ピリンチ(米)の中の石、ごみ、などの異物をより分けて、ピラフを炊く準備です。私はイスタンブールから持ってきたクレープのようなユフカを使って、挽き肉を少し貰い、ワンタン・スープを作る予定で材料を揃えておきました。

 7時少し前に準備が整うと、女性陣はすぐにトルコ・コーヒーやチャイを淹れて、小一時間あれやこれやと四方山話で過ごしたあと、アブデュラーさんが7時半過ぎ、今日は9時頃一度家に戻り、夕食を食べたらまた仕事に戻る、と連絡してきたので、台所はまたにわかに慌ただしくキョフテの料理・イスリム・ケバブをオーブンに入れ、ピラフを炊き、料理に取り掛かりました。ミヤセさんがオーブンレンジのガラス窓を時々覗いて焼き具合をコントロールし、奥さんのメラハットさんは付け合わせの豆の煮ものの仕上げにかかりました。
ワンタンスープは説明だけしてくれれば、自分たちが作るからゆっくりお茶でも飲んでいらっしゃい、とミヤセさんがスープを引き受けてくれました。なにしろ、ミヤセさんは国立セルチュク大学家政学部の準教授、服飾から料理までお手の物です。長姉のアイセルさんは児童教育の専門家として、トルコ文部省からも功労賞をいただくほどの教育者なのです。

 一昨年9月にお母さんが亡くなったあと、お父さんはすっかり気力が衰え、この夏、私がポストニシン様の長男ミタットさんの結婚式にコンヤに行って、そのとき泊めて貰ったころは嫁いだアブデュラーさんの二人の妹さんも、毎週交替で姉たちとお父さんの世話をしに来ていました。ところが秋口に一挙に弱って、この2か月余り、お父さん専門のバクジュ(看護人)を雇っているのだそうです。その、住み込みのバクジュは61歳になるウズベキスタン人の女性で、お父さんの身の回りの世話をしているのですが、家族と分け隔てなく厚遇されて、アブデュラーさんの子供たちとも親しい様子です。

 午後8時きっかりにミヤセさんがオーブンからイスリム・ケバブを取り出すと忽ち香ばしい肉の香りが家中に広がりました。チャーダッシュ家の食洗器は、日に何度も洗う皿小鉢、チャイやコーヒーのカップなど満タンで、ごうごう音を立てて稼働しています。盛り付けのために開かれた食洗器、ぎっしり詰め込まれているので、そこから注意深く必要な皿やスープ皿を取り出すのです。そして食事が済むとまた食洗器が満タンに・・・。休む暇もないよ、と食洗器がストライキを起こさないといいのですが。

 奥さんが盛り付けてくれたので早速席についてご馳走になりました。ミヤセ・コックさんのワンタン・スープはやはりどことなくトルコのスープになっているような気がしますが、まあいいか。
9時少し前、アブデュラーさんが帰宅しました。コンヤで英語を話せる数少ないタクシー業者であるアブデュラーさんは、シェビィ・アルースの期間中引っ張りだこ、夜と言わず昼と言わず、ほとんど休息することが出来ないほどなのだそうです。毎年来ているヨーロッパからのお客さんが遅い飛行機で到着するので迎えに行き、ホテルに送り込んで明日は早くから一日あちこちを回り、夜のセマーに送っていったら、その間にまた、家に食事に来る、と言っています。明日は私がミヤセさん達に日本風コロッケを伝授する約束になっているので、また明日の晩、コロッケで一緒に食事出来るのは嬉しいことでした。

 食後あまりゆっくりも出来ず、また出かけて行かなくてはならないお父さんに会いに、下の階からアブデュラーさんの息子2人(ハリム君、オヌル君)と末娘のアルズちゃんも来て、嬉しそうにコーヒーやジュースを飲みながら話をしてゆきます。アブデュラーさんは家に戻ると、まずはお父さんの部屋に様子を見に行き、それからダイニングキッチンに来るのですが、昔ながらの長幼の序や家族愛に満ちた、大家族を守る大黒柱のようなアブデュラーさんは、時に厳しくても、慈愛に満ちた父親の鑑のような人で、それはとりもなおさずいまでこそ病床にいても、ババジャン(父親気質)に満ちたハリムさんが築き、アブデュラーさんが受け継いだ家庭の素晴らしさを見る思いがしました。


 コンヤに来て早や4日目、日付が変わってから床に就いたにもかかわらず、やはり早く目覚めたので、ダイニングキッチンにまだ誰もいないうちに、イスタンブールの友人に頼まれた日本語翻訳原稿を取り出し、ノートに訳しながら手書きでメモして行きました。そのうちメラハットさんが起きて来て、チャイダンルック(二層式のやかん)を火にかけてくれました。アブデュラーさんは2時過ぎにいったん家に戻り、仮眠と軽い朝食をとって、6時前には家を出たのだそうです。外はまだ星が降るようだったことでしょう。

 私も土曜日だし、今日開く予定のコンヤ女子会は2時の集合だったので、寝ていてもかまわなかったのですが、貧乏性と言うか、宿題など持ってきたので、やらずにいるとそれはそれで気が気でないのです。やがて10時くらいになると奥さんもミヤセさんも起きてきたので、コロッケの作り方をメモして、簡単な絵と身振り手振りも入れて日本のコロッケの平たい楕円形を説明し、お姉さんたちは夕方私が戻るまでには揚げるだけにしておく、と言います。私も集合時刻の2時には早いものの、余裕をもって家を出て、ドルムシュで最初に7日の朝に降りた場所まで行き、とある眼鏡屋さんに寄ったのです。

 7日の朝、パレードの出発点に行くときに降ろして貰った場所で、歩きだしたらすぐ、眼鏡屋さんがあったので眼鏡拭きの布を買うつもりで入ったのですが、愛用の眼鏡がもう何年もかけっぱなしで傷だらけなので、ガラスを入れ替えることが出来るかどうか、駄目元で聞いてみたのでした。するととても親切な眼鏡職人さんが、私の外したメガネのフレームとレンズを見て、一目で「これはいい品ですね。しかしレンズの方の傷は直らないでしょう。新たに眼鏡を作るには、トルコでは病院の検眼を受けてその診断書を提出しないと作れないことになっていますが、このフレームがまだしっかりしているので、レンズを取り換えるだけ、ということでお直ししましょう!」と引き受けてくれたのでした。

 昨日の夕方までに出来る、とのことでしたが、今朝寄ってみたところ、レンズ取り寄せのカーゴがまだ届かないとのことで、夕方もう一度来ることになりました。チャイを出してくれたので、座ってチャイが冷めるまでの間に、仕立て屋のシェンギュルさんに電話してみると、チョルム県に嫁いだ妹の夫が、10日くらい前の朝、朝食を始めるとき、いすに座ったまま突然亡くなって、シェンギュルさんも急遽チョルムまで来て、初七日まで滞在したため、月曜の晩に帰宅することになる、と言うのでした。

 聞けば心臓発作でまだ39歳の若さなのだそうで、どれほど家族が悲しんだことでしょうか。「ご愁傷さま、妹さんの旦那さんが天国で眠ることが出来ますように」とお悔やみを言ったのでした。コンヤに来ているので会いたいと思ったのですが、この分では最後のイスタンブール出発の日に会うことになるかもしれません。

 歩いてとろとろ行くうちに、後ろから同じ路線のドルムシュが来たのでそれに乗り、メヴラーナ博物館と並ぶセリミエ・ジャーミイの前で降ろして貰い、それからせっせと歩いて見覚えのある待ち合わせ場所にやっと着いたのでした。カンディル・レストランは2014年に出来て以来、もう何度も来ているので、オーナーとは顔なじみ、コンヤの最古参エスマさんが、シャルク・オダス(東部地方の様式の部屋)で待っていてくれました。

 ほどなく皆さんが揃って、とは言え一時からすると日本女性も減って、エスマさん、恵さん、育子さんと私の4人だけ、それにもう一人、育子さんが3年前から住んでいた日本女性と偶然ショッピングセンターで知り合いとなり、その女性の話が出たらエスマさんが、「じゃあ、次回加瀬さんが見えるまでに、その方にも声をかけて、みんなで参加出来るようにしましょうよ。それに、もっともっと私たちも普段の交流を盛んにして、いろいろお付き合いしたいわ~。いつかまたうちにも来ていただいて、楽しくやりましょう」と言ってくれたのでした。
 
 今日、これが初めてのコンヤ・エトゥリ・エキメッキです。たまたま団体さんがたくさん来ていたので、カンディルは超混雑していましたが、個室を取っておいてくれたので楽しいひと時を過ごすことが出来ました。昼は3時半でお開きになったので、みんな揃って昨日のイスラーム文化センターに行ってみることになりました。かなり遠いですが、みんなで歩けば遠くない、とばかりぶらぶらと歩きながら到着、文化センターの内部を見学、皆さん本当に感嘆の声を上げ、素敵な会館が出来たのね、今度また来てみるわ、と評判は上々でした。

、最後に広場の前で育子さんと別れた後、記念撮影をしなかったことを思い出しました。育子さんはお子さんたちが待っているので急ぎ足で立ち去った後なので、仕方なく3人で自撮りをしました。育子さんの写真は、2015年の9月に出会った時の写真を貼りました、ごめんね。

 エスマさんが「もう一度会いたいので12日の昼、私が皆さんをご招待しますので是非来てくださいな、ボル・ロカンタスのエトゥリ・エクメッキも美味しいのよ~」と熱心に言ってくれるので、もう一度会う機会がありそうです。
メヴラーナ広場の前のターヒルさんの店で土産にするコンヤ・シェケリを買っているうちに、ユジェルさんが到着、2人でまずは眼鏡屋さんに行き、店長のシナンさんと、職人のハヤッティさんとも話が弾み、私の眼鏡もきれいに新しいレンズがはめ込まれ、フレームも上等品とはいいながら、長年使っていたのでゆるんでしまったネジや鼻の上の支え具などもきっちり直してくれました。

 きれいになった眼鏡は軽くて使いやすく、イスタンブールのエドで買った老眼鏡もスペアに出来るし、万事うまくいきました。それにお店では「あなたはメヴラーナを日本に紹介し、シェビィ・アルースに毎年来てくれるので、眼鏡の修理はレンズ代だけを頂きます」と店長さんも職人さんもニコニコして、え、それだけでいいの?、と言うくらいのお値段しか取ってくれなかったのです。

 最終的にはありがたく好意に甘え、またコンヤに来た時は伺いますよ、と約束して店を後にし、ユジェルさんとそのあと近くのケーキ屋でチャイを飲み、彼には飛行機のチケット代を立て替えて貰っていたのでお返しし、今セルチュク大学の図書館で、間近に迫った修士論文の作成のために毎日勉強しているので、今回はあまり一緒にいられませんが、とてもいい日々を過ごしているというと、「加瀬さんはコンヤの皆さんの大事なお友達ですから」とユジェルさんも喜んでくれました。慌ただしいけれど心温まるひと時を過ごしたのち、彼はメラム行きのドルムシュを呼び止め、私を車に乗せるまで一緒にいてくれたのでした。さあ、チャーダッシュ家のコロッケはどうなったでしょう。


 帰り道は土曜日でもあり勤め帰りの人が少ないので7時頃に乗ったドルムシュも空いていて、コンヤ市内の渋滞もほとんどなかったため、7時半にはもう家に着きました。ダイニングキッチンに声をかけてから奥の部屋に荷物を置き、帽子やジャケットを脱いで手を洗い、キッチンに入ると、「素晴らしいのが出来たのよ、加瀬ハヌム!」とミヤセさんの朗らかな声が出迎えてくれました。

「私たちや子供たちは待ちきれなかったのでもうお先にいただいたけど、美味しいわねえ。あなたもすぐに食べるでしょ、盛るわよ!」
「ええ、ありがとう。エルレリニゼ・サールック(作ってくれた人へのお礼の言葉=あなた方のお手に健康を)!」
すぐにメラハットさんも立ち上がり、大皿にエリシテ(トルコうどん)を盛り、そのあとミヤセさんに渡すと、大きなコロッケを2つ盛って長姉のアイセルさんが漬物を盛り付けて渡してくれました。希望すれば豆の煮ものなども添えてくれますが、昼が遅かったので、それだけで十分でした。

 コロッケはトルコ料理の「イチリ・キョフテ」のような形をしていました。つまりちょっと紡錘形なのです。あれあれ、ほぼ丸くまとめたものを、両方の手のひらに挟んで軽く押しつぶし、平たくする工程を手ぶりで示したのだがなあ、と思いながら食べてみると、あれ、何か食感が違います。おおお、挽き肉がこってりで、ポテトの量が僅かなので、ぬめりがなくだいぶゴワッとしているのです。

 私がちょうど食べ終わり、デザートのメロンが出て来たところに、アブデュラーさんが帰ってきました。
「いや~、これはうまいね、イチリ・キョフテにちょっとポテトを加えるだけで、こんなにうまいキョフテになるとはね。8月にはシュウマイを教えて貰い、あの後も作ってくれたんですよ。妹たちも学んだし、コンヤに見えるたびに何か伝授して貰えれば、姉妹たちや家内もレパートリーが増えて大喜びですよ」とアブデュラーさんは上機嫌です。
「あの、本当は日本のコロッケはもっとポテトが主で肉よりたくさん入っている柔らかいものなんですよ、アブデュラーさん。例えば100gのコロッケでは、50gがポテト、あと、肉と玉ねぎが25gずつ、というぐあいに・・・」

「ああ、そうなの。でも私はこれがいいなあ、肉が大好きだからねえ。その家の家族が好きなものを優先して入れればいいんじゃないの、量目にはこだわらずに」
私は目から鱗が落ちるような思いでした。料理教室やコンクールでご馳走を作るわけではないのですから、これが究極のコロッケだ、と言うものを伝授しなければならない、という決まりもなし、また教わったものをベースに、習った人はいろいろ自分なりの工夫を加えてもいいのです。

 可愛い子には旅をさせよ、と言うのは昔のことわざですが、私もこの歳になっても旅先で学ぶことがたくさんあります。伝えたかったコロッケと少々違うけど、アブデュラーさんはじめ家人がみんな美味しく食べてくれたなら、それはそれで多少なりと役に立ったのだと解釈した方がいいのだ、と思いました。

                        







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Last updated  2018年01月31日 22時25分49秒
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