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madamkaseのトルコ行進曲

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 marnon1104@ お久し振りです (。≧ω≦)ノ!! kaseさんのお誕生日だったのですね。 お元…
 marnon1104@ Re:トルコでシュウマイはいかがですか?(07/08) kaseさん、こんにちは(*'▽')♪ …
 madamkase@ Re[1]:渡航記念日(03/16) 高見由紀さんへ こんにちわ、イスタンブ…
 madamkase@ Re:渡航記念日(03/16) marnon1104さん、こんにちわ。 3月に書い…
 madamkase@ Re:トルコでシュウマイはいかがですか?(07/08) ひなのさん、おひさしぶりです。 トルコは…

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2015年10月15日
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【10月15日・木曜日】


 3日前の約束通り12時少し前に、軍楽隊のメティンさんのところに行った。彼は12時になると早速私を促してメフテル棟を出て、隣のOrdu Evi(オルドゥ・エヴィ=将校クラブ)の敷地に向かう下り坂を歩き、五つ星ホテルのような高層ビルの入り口に到着した。

 もう7~8年前になるが、かつて一度ボスポラス海峡の上流、サリイェル区の船着き場のそばにある海軍のオルドゥ・エヴィで、海軍の将校さんから用談があって呼ばれたことがあり、ご馳走になった経験があるが、このいつも見慣れた高層ビルに入ったのは初めてだった。

 もっとも、軍事博物館の将校や職員達は普段そこでお昼や夕食を食べているので、社員食堂みたいな感覚で利用しているようだし、私のトルコ息子だと自認している頼もしいメティンさんがいる限り、何の心配もなくついて行ったのだった。彼は3階のケバプ(焼き肉)やウズガラ(網焼き)のレストランに案内してくれた。

 席に着くと「ビールでも飲んだらどう?」と勧めてくれたが、国民の喪は明けたとはいえ、昼からビールを飲む気にもならないし、相手は勤務中だからお相伴して貰えるわけでもないので、サイダーを頼んだ。食事は鮭のウズガラを頼み、メティンさんはアダナ・ケバブとアイラン(飲むヨーグルト)を取った。

metin lunch  
主食のほかに、サラダ類が幾つか並び、なかなか豪勢なランチでした。
 


 メティンさんも話をするのが大好きな人なので、あれこれ喋りながら美味しくご馳走になり、1時ちょっと過ぎ頃に彼の部屋に戻った。トルコのお役所関係は、仕事中に家族や友人が訪ねて来るのがごく当たり前で、全然とがめられないというゆるい風習がある。仕事さえちゃんとやっていればいいのだそうだ。

 日本と大いに違うところだが、メティンさんの仕事と言うのは、メフテル隊員のシフトを組んだり、休暇申請の制御をしており、言わば人事課、総務課といったところ。20日からメフテル軍楽隊のアンカラ行きを控えているので、週末が近付いていることもあり、めっぽう忙しい様子だった。それでも私を退屈させまいと、メティンさんは何かと話しかけてくれる。

metin  
10月から衣替えで長袖のシャツを着たり、草色のベストを着たりしています。
 

 するとまもなく1時半頃、デニズさんが私を呼びに来て、彼の部屋に誘われ、外出前におよそ30分あまり歓談することになった。

 「私もあなたやメティンさんのすぐ後から、オルドゥ・エヴィに行ったんですよ。どこにおられましたか?」
 私は何気なく見たエレベータのパネルを思い出しながら答えた。

 「あそこは、3階でした」
 「どうりで。私はいつも行く2階に行ったんです。それで探しても見えなかったんですねえ」
 「来週は共和国創立記念日で、デニズさん達はアンカラにお出かけでしょう。戻ってきたらまた会いましょうね。今楽しいプロジェクトを考えてます」
 「そうですか。なんだか楽しみですね。戻ったらゆっくり聞かせて下さい」

 チャイのあと、デニズさんは自分好みの甘いコーヒーを引き出しから出して、私のために兵卒に作らせてくれたが、熱くて全然飲めないうちに彼の外出する時刻となり、部下が迎えに来た。

「加瀬さん、今日、私はコンサートには出ないんですよ。3時半頃には戻ってきますがまだおられますか」とデニズさんが聞くので、「お待ちしていますよ」と答えた。
 
 またメティンさんの部屋に戻った途端、今度はチョルバジュ・バシュのムラット中佐が兵卒を迎えに寄越して、デニズさんのコーヒーをまたその部屋に運んで貰い、中佐の部屋に顔を出した。かくて思いがけず今日は将校達の部屋をハシゴして歩くことになった。

mehter  
メフテル軍楽隊のポスターより。 左:デニズ少佐  右:ムラット中佐



 端正な容貌に品格と威厳のある中佐はニコニコ顔で迎えてくれたが、どうしても話がアンカラのテロ事件に触れることになり、弔意を述べると中佐も顔を曇らせ、2人でこの大惨事を憂えた。

 そのあとムラット中佐とは「もしもアタテュルクがもっと長生きしていたら」という仮定で話がはずんだ。やはり軍人達の心には常にアタテュルクが誇り高く存在しているのを感じたのだった。

 2時40分、ムラット中佐を兵卒が迎えに来た。今日はチョルバジュ・バシュとしてコンサートに出演こそしないのだが、今後、メフテル軍楽隊が国内の地方都市や外国に行っている間に、留守部隊がコンサートを実施するシステム導入のため、今週は少人数で予行演習をしているとのことである。
 
 責任者として中佐がコントロールに行くので、私も席を立ってまたメティンさんの部屋に戻った。ちょうど彼の部屋には、21年前に日本に行った時のメンバーの一人、非番なので背広姿のムサさんが事務手続きで来ていて、私を、本日のコンサートが開かれるチャドル(天幕)・サロンに連れて行ってあげるから安心しなさい、と約束してくれた。

 ところがムサさんは3時になると、本来の大きなコンサート・サロンに私を連れて行ったのだった。そこはいま、ある種の企業の商業博覧会に貸し出してしまっているので、チャドル・サロンと言う、普段公開していない場所でコンサートが行われるのだそうだ。

 ムサさんはメフテル軍楽隊のナッカーレゼン(二連の小太鼓ナッカーレの奏者)だそうだ。彼は近道から行こうと言いながら、本来のコンサート・サロンの地下に降りた。そこで通路を間違えて階段を上ったり下りたり、また引き返したりするが、行けども行けども目的のチャドル・サロンに通じる扉に行き当らないのである。


 ついに中から行くのは諦め、一旦建物の外に出て中庭を突っ切ろうとして、警備の新入り兵卒に呼びとめられてしまった。自分はメフテル隊員だと説明してやっと放免して貰い、長い道を歩いてどうやら臨時のコンサート会場のチャドル(天幕)・サロンに着いたのだった。

 回りまわって2倍も歩き、到着した時はコンサートの最後の白兵戦の再現の部分しか聞けなかった。

mehter1  
臨時にコンサートを行っているチャドル(天幕)・サロン。オスマン朝時代にスルタンが
遠征するときに、野営の地に張られた天幕が今もいくつか展示されているサロンです。

mehter2  
外国や地方に遠征する本来のメンバーと、居残りのメンバーの力量差をなくすため、
連日午前中ずっと防音装置の完備した視聴覚教室のような部屋で特訓しています。



 本来の会場ではないので、大画面でメフテル紹介映画を上映しないため、3時ちょうどにもうコンサートは始まっていたのだった。ムサさんはいつもの習慣で3時15分から行進が始まるとテンから信じて疑わなかったようなのである。私もそう思ったのだが、チャドル・サロンにはスクリーンすらなかった。

 ムサさんは、私をくたびれさせた上、コンサートも間に合わなかった、としきりに肩をすぼめて恐縮している。この、人の良さそうなムサさんに、私は笑って「コンサートならいつも聴いているから、今日逃してもまた来ますよ、気にしないでくださいな」と慰めたのだった。

 ムサさんはちょっと「天然」な可愛いおじさんだった。チェヴゲン(コーラス隊)のムスタファ・アイタンさんが、加瀬ハヌムは21年前に同じ飛行機で日本に行ったんだよ、という話をしたら、「ああ、そういえば・・・」と思い出してくれた。来る度にあとあと、いろいろな人と仲良くなれて、私はほんとうに嬉しいと思う。

nakkalezen  
ナッカーレゼン達。左側の奏者がムサさんです。(2013年12月21日撮影)
 


 さて、ほんの少々ではあったが、とにかくコンサートの最後の部分は見ることが出来たのだが、やっぱり小人数ではあっても、正規のサロンの広いところで見られたら、本隊の演奏に見劣りしないのに、とこの臨時の狭いサロンはちょっと気の毒な気がした。

 しかしながら、この留守部隊がいつものサロンで演奏をするようになれば、たとえば外国人ツーリストなどが訪れた時、「本日はコンサートなし」などと言う、無情な張り紙もなくなって、演奏の技量としても見劣りしない留守部隊がいれば、お客さんはがっかりしなくて済むようになる筈である。

 私はこの件について、去年一度、メティンさんに提案しに行ったことがあった。するとその頃、ちょうどメフテル軍楽隊では私と同じ意見が出ていて、検討中だとのこと。近い将来実現に向けて朗報が早く出せるようにしますよ、とメティンさんから初めて教わったのだった。

 もちろん、メフテル軍楽隊を正副、二つ持つとすれば、人件費やその他いろいろ難問も沢山あったに違いない。あの日から1年余り経っているが、ついに実現間近となったらしい。もしかすると21日の水曜日からでも留守部隊の演奏が実施されるかもしれない。


 それはさておき、只でさえ広い軍事博物館の地下道や、舞台の下に当たる階段を上ったり下りたり、珍しいところまで歩きまわってしまったので足が疲れ果て、帰りはメティンさんがタキシム広場を通る送迎バスに手配してくれようとしたが、丁重に断り、タクシーでまっすぐ家まで帰ることにした。

 デニズさんとも別れの挨拶をして、メティンさんが正門のそばまで付いて来てくれたので、そこで別れた。

 いろいろあったが、しかし、総合するとそれはそれは楽しい一日であった~。

 
 
 





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Last updated  2015年10月19日 23時25分37秒
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