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カテゴリ:やっぱりトルコが好きな私
【11月18日・水曜日】 メフテル軍楽隊の総務課長メティンさんが「この頃あなたが姿を見せないので、何かあったのかと心配してしまう、心配させないで元気な顔を見せてほしい」と言うので出かけて行った。姿を見せない、と言っても2週間だけだと言うのに・・・ 11時半頃、「午後1時過ぎに伺います」とパソコンを閉じる前にメッセージを送ったら、 「ケシケ、もう少し早く来てくれれば、お昼を一緒に出来たのに」と返事が返ってきた。 日本女性のはしくれとして、そうそう昼時を狙って行かれないよ、と思うから1時過ぎに、と書いているのだが、でも、ご馳走してやろう、と思ってくれるだけでも嬉しい。 で、午後1時に家を出てタクシーで軍事博物館に着いたのが20分過ぎくらい。タクシーを降りた途端にびっくりした。巨大な大砲のある前庭が、子供達で溢れていたのだった。観光バスが何台も正門を入ってメフテル棟に続く通路に列になって並んでいた。 ちょうどそのとき、本館の通用口から出て来たムラット中佐(メフテルのチョルバジュ・バシュ役)にぱったり出会った。いつもきりりとして渋い男前のムラットさんがニコニコと歩み寄って握手してくれた。 「ムラットさん、今日は大入り満員ですねえ。コンサート会場に入りきれますか?」 「いやあ、たった今決まったんですが、今日は急遽、外でコンサートをやることにしたんですよ」 「あらっ、外でですか。それは嬉しい! お天気も上々ですものね」 私達はあれこれ喋りながら奥まで歩いてそのまま中佐の部屋に招き入れられた。 「ここにいればメティンさんも間もなく来ますよ。チャイ、コーヒー、何がいいですか?」と、兵卒を呼んで私の希望したチャイを注文してくれた。 ほどなくメティンさんも後からやってきた。3人で2時まで談笑し、楽しいひと時が過ぎた。この席にデニズ少佐がいないのが寂しいが、彼は休暇中で、来週から仕事に復帰するそうだ。 やがて2時からムラット中佐は水曜日恒例の「戦没者追悼式典」に出席するので席を立ち、メティンさんと私も彼の部屋に移動した。 私は昨日カズコさんに貰った映画「海難1890」のパンフレットを見せながら、メティンさんと、助手のイリヤスさんの休暇中、臨時に助手を務めているバハドゥルさんや、総務課に休暇願の申請に来るメフテル隊員のみんなにこの映画について説明した。 6月と11月の2回も総選挙があったせいで、こうした案件は後回しにされてしまったらしく、当初、日本より先に11月半ばのロードショーのはずが、12月25日公開となったのである。 さて、いよいよ3時が近づいたので、私も荷物はメティンさんの部屋に置いて身軽になり、前庭に行ってコンサートを鑑賞したのだった。 10月から12月にかけて晩秋の時期には、子供達の校外授業が行われ、小中学校の児童・生徒がバスであちらこちらの博物館をめぐる季節なのである。 軍事博物館は重要な場所のようで、コンサートが3時から行われるため、見学者が集中してしまうのだった。大砲の庭はまさに黒山の人だかりで、私は背が低いのに後ろのほうにいるしかなく、写真が撮れないなあと焦っていたら、警備の兵隊さんが気付いて、隙間のある所から人垣の内側に連れて行ってくれた。 おかげで入場してくるメフテル隊員を近くから写すことが出来た。 入場行進のしんがりにはキョスゼン(大太鼓奏者)のシェラーフェッティンさん(赤いコート)がいます。 大砲の周りには、円形にレールが敷かれているので、その外側に円陣を組んで並びます。 デニズさんに代わって指揮棒を振るのはジェラールさん。留守部隊のメフテル・バシュです。 キョスゼンは重労働、淡々と無表情で打ち続けるのは根気が要ります。 日本人にもよく知られている「Ceddin deden ジェッディン・デデン」という曲では、キョスゼン(大太鼓奏者)のシェラーフェッティン・キョルオールさんの右手の撥がクルクルっと宙に舞うのが面白くて数えてみたら、2分35秒くらいの間に10回右腕を振り回しているのが分かった。ご苦労様です。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年11月26日 05時05分57秒
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