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カテゴリ:旅に出て人と会う
【11月21日・土曜日】 今日は雨でも降らない限りは、ファトマさんの墓参りに行く予定だったので、夕べ散らかっている部屋をそこそこに掃き清めたあと、空を見ると星がいっぱい出ているので安心し、10時過ぎに床についた。 すると、今朝は3時過ぎに目が覚めてしまい、4時前にはもう起きて風呂を立てたり、髪を洗ったり、食事の支度もしてきちんと食べ、ブログも書いてアップしてから出かけたのだった。 イスタンブール・大オトガルのターミナルで。イスタンブール・セヤハット社は20年前、 1日に数便の小さな小さなバス会社でした。チョルル市の発展と共にたいそう成長しました。 予定より10分遅れて9時25分に出発したイスタンブール・セヤハット社のバスに揺られて、11時20分頃チョルルに到着、ファトマさんをハラ(父の姉妹つまり父方の伯母・叔母)と呼んでいた甥のハールンさんが、今は私のこともハラと呼んでくれているが、いつも彼がバスの終点に迎えに来てくれるのだった。 車に乗るともう既に、きれいな花束が積まれていた。彼は言った。 「由美子ハラム(ムがつくと私の叔母さんの意)、この花は私からあなたへのプレゼントなので、これをファトマ叔母さんのお墓に飾ってあげてはどう?」 ハールンさんは独り暮らしの私に余計な出費をさせまいと、いつもさりげなく帰りのバスのチケットを買ってくれたりする、心遣いの行き届いた青年だった。 まずは彼の実家に行き、母のベトゥリエさんの用意してくれた朝食(私には早昼)をご馳走になり、チャイを飲んでいると、ハールンさんの妻チーデムさんや、その母のナジフェさんが来てくれた。お父さんのメヴリュットさんは、最近鶏の飼育をして、オーガニック地卵の販売も始めたとのこと、朝早く湖のほとりの農場に出かけたと言う。 ハールン夫人のチーデムさんは今日、仕事上の研修で土曜出勤しているのだそうで、昼休みに抜け出し、私に会いに来てくれたのだった。 ハールンさん。各種保険の代理店を経営しています。 昔から料理上手で一族でも評判だったベトゥリエさん 広々としたサロンで、チャイやコーヒーを飲みながら楽しくお喋りしました。 女子会4人組、左からベトゥリエさん、私、ナジフェさん、チーデムさん。 ハールン・チーデム夫妻と。息子のチュナル・イーイト君は中学の友人の家にお出かけ。 キッチンからサロンに移ると今度はチーデムさんがトルコ・コーヒーを淹れてくれた。このお母さん達と私もファトマさんの親戚一同の結婚式や葬式で、必ず顔を合わせているので長い馴染みだった。特に2001年、ハールンさんの結婚式の3日後には、あのニューヨークの同時多発テロが起きたので忘れもしない。 そのうち、ハールンさんの姉のナーリンさんが小学生の坊や、ヤウス君を連れてやって来た。その色白の美少年とは、つい1週間ほど前に、私にFacebookの友達リクエストをしてきて友達になったばかりだった。 午後1時くらいまでみんなで歓談し、やがてチーデムさんは研修会場に戻り、母のナジフェさんも家に帰った。ナーリンさんが留守番をして、ベトゥリエさんと私とヤウス君がハールンさんの車で墓参りに行くことになった。 ハールンさんの用意してくれた花束をほぐして、ヤウス坊やと一緒に、ファトマさん一家の3つの墓にほぼ均等になるように捧げ、その間にベトゥリエさんがクルアン(コーラン)の一節を読み、墓土にハールンさんが水を撒いたあと、それぞれに祈って、松の木の下に眠るファトマさんと夫のアフメットさん、娘のイレムちゃんに別れを告げた。 花を持ってくれたヤウス君。大きな目がお母さんやハールン・ダユ(母の兄弟=叔父)に似ています。 ファトマさんの墓土の上に献花します。ヤウス君もアフメットさんの墓に献花しています。 「川」の字になって眠る親子。真ん中は10歳で亡くなった娘イレムちゃん。 真っ赤なガーベラは幼くして亡くなったイレムちゃんの魂に捧げました。 ベトゥリエさんがコーランを読み、ハールンさんが土に水を撒いてみんなで祈りました。 まん前に植え込みがないので、西日の当たるファトマさんの墓の字がはがれています。 ハールンさんが近々、墓石の文字を自分で修整に来るそうです。 最後に3人で記念撮影、ヤウス君とはっかり仲良くなりました。 墓地から戻ると、今度はハールンさんの妹のナーランさんが、娘のエキンちゃんを連れて会いに来てくれた。一族はほぼ両親の家の近くに住んでいるのである。今度はナーリン・ナーラン姉妹と記念撮影。 長女ナーリンさんとヤウス君。ヤウス君の姉のギゼム嬢は高校生らしい。 末っ子ナーランさんと一人娘のエキンちゃん。水泳選手をめざしているそうです。 ハールンさんが20年前と違っているのは、髪の毛とヒゲの色だけ。いま43歳です。 チョルルの街にはものすごい数のスールジュック(ホシムクドリ)が住みついていて、明け方と夕方に大挙して乱舞するのだそうだ。子供達とベランダに出て、その写真を撮ったり、チャイを飲んだりしているうちに、ベトゥリエさんが前夜から用意したという夕食を並べてくれた。 夕食が早くも並べられました。4時半にはお暇しなくてはなりません おやおや、西の空にスールジュック(ホシムクドリ)の大群が現れました。 もっと、空が真っ黒になるほどかたまって飛んでいる大集団もあるのです。 何だかずっと何か食べてばかりいるようだ。お腹いっぱいご馳走になり、5時20分前に名残惜しいが暇乞いをしてみんなと抱き合って別れを惜しみ、またハールンさんに送られ、帰途についたのだった。 4時過ぎに研修の終わったチーデムさんがバス発着所まで駆けつけてくれたので、最後にまた会うことができた。 「由美子ハラ、ごめんなさい。今日は全然おもてなしが出来なくて」 「とんでもない、こうやって駆けつけてくれただけでも感激よ」と私達は抱き合った。 「由美子ハラ(叔母)、何か困ったことがあったときは遠慮なく、私達に言って来てほしいんだ。あなたにはコジャマ~ン・アクラバ(大家族の親戚)があるのだから、忘れちゃ駄目だよ。きっとだよ」と、別れ際にハールンさんが言うと、チーデムさんもうんうん、と頷いた。 そう言ってくれる人々があるからこそ、それを力に自助努力出来るのだ、としみじみ感じた。 バスが20分遅れてやっと到着した。私はもうすっかり暗くなった窓の外を見ながら、今日一日の、みんなの優しい言葉や楽しい出来事を、順を追って思い出しながら、イスタンブールに向かうバスでチョルルを後にしたのだった。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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