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カテゴリ:やっぱりトルコが好きな私
【12月5日・土曜日】 今日は女子会ならぬ、イキのいい男子ばかり3人と一緒にメフテル軍楽隊のコンサートに行くことになっていた。 メンバーはまず14歳の中学生、アタ・クトゥル君。家が軍事博物館の近くなので、3歳頃から両親に連れられ、メフテル軍楽隊のコンサートにちょくちょく来ていたという大ファンである。 今年8月9日に初めてメフテル・コンサートの生演奏を見て以来、熱烈なファンとなったと言うテレビタレント小林正貴さんは、彼の親友で大学職員のエルデム・エルズルムさんを誘って、あとは紅一点(紫色か?)の私との、珍しい組み合わせのグループが成立した。 集合時間直前にエルデムさんに急用が生じたとのことで、彼は来られなかったが、先月26日に急遽アンカラに出張したメフテル軍楽隊の本隊が戻って来ているので、みんなでメフテル・バシュ(軍楽隊長)デニズさんを訪問することにしていたのである。 小林さんとアタ君。軍事博物館本館の正面入り口にて アタ君と私。左の方に大砲が見えます。ミニ・シクラメン などがうえられた前庭も冬らしくきれいに飾られています。 こういう場合、前もって前日から私がデニズさんにFacebookからメッセージを送り、訪問者の名前と、訪問するのにコンサートの前がいいか、あとがいいかなど都合を聞くのだが、いつも必ずニコニコマークとともに返事をくれるデニズさんがどういうわけかノーコメント、今朝もう一度知らせたが、開封のしるしは付いているのに何の返事もないので、私は内心ちょっと心配していた。 2時過ぎに軍事博物館に向かうタクシーの中からデニズさんに電話を入れてみたが、呼び出し音はしても何の応答もなく、私は不都合なのだろうか、と覚悟した。どの道会えない場合はコンサートだけ見て出てくればいいだけのこと、と思ったのだが、それではせっかくデニズさんに会うのを楽しみにしている男子軍に、とても気の毒な気がする。 結局、連絡の取れないまま、3時少し前私達は本館に入場し、私が化粧室に寄ったので小林さんとアタ君には先に会場に向かって貰った。私が会場に到着した時はすでにメフテル紹介映画の上映が始まっていたので、場内はうす暗かったが警備隊長のセダット曹長が、小林さんは中央列の前の方にいるはずだと教えてくれた。 階段の段差がものすごく高いので、蟹のように横向きで一段ずつ降りて行くと、前から4列目の中ほどに2人が並んで座っているのが見えた。 私が腰を下ろすとアタ君が囁いた。 「加瀬さん、さっき映画の始まる直前にデニズさんが舞台の袖から顔を出して、客席をぐるっと見ていましたよ」 「あら、ほんと? じゃあもしかすると、私達を探していたのかもしれないわね」 「そうだといいですね」 ほどなく映画が終わり、チョルバジュ・バシュが出てきて軍楽隊を高らかに呼んだ。一斉に楽器が鳴りだし、まずは舞台に向かって右手にある階段から、旗やトゥーと呼ばれる飾りの錫状を持った兵士達が登場し、次々と降りて来る。 舞台の袖からはチョルバジュ・バシュに続いて兵士達やチェヴゲン(コーラス隊)を先頭に各パートの隊員が楽器をならしながら、行進を開始した。 メフテル・バシュが呼ばれ、いよいよ演奏が始まります。 ダヴルゼン(中太鼓奏者)達。赤い服は各パートのリーダーです。 ズィルゼン(シンバル奏者)達。 チェヴゲン(コーラス隊員)達 メフテル・バシュとキョスゼン(大太鼓奏者) 力いっぱい拍手で出迎える観客、最後にデニズさんが登場して最後尾を歩き舞台を1周、やがて全員定位置に着いて演奏が始まった。 今日は定番の演目を減らし、たまにしか演奏されないものが幾つか混じっていた。中に小林さんが大好きな「ビュルビュル・オトゥヨル(鶯は囀る)」というのがあって、曲の最後には、ズルナゼン・バシュ(木管楽器ズルナのリーダー)のハミット・ハナイさんの、神業に近いような変幻自在なズルナの独奏があるのだった。 ズルナゼン(ズルナ奏者)達と歩兵 写真ではこの音色がお伝えできないのが残念! ハミット・ハナイさんの独奏 デニズ少佐の聴衆への敬礼 観客サービス、記念撮影のために残る旗手や兵士達 やがて最後の一つ前に日本人にもなじみのジェッディン・デデンが演奏されて、最後が戦場を再現し、勝鬨の声を上げたところでコンサートは終わり、退場行進が始まった。 いつものように記念撮影用に3組の兵士達が大太鼓の周囲に陣取ると、ドドッと舞台に下りる階段に子供達が詰めかけた。 アタ君が「僕達は、記念撮影するんですか」と聞いた。私はきっとデニズさんから電話が来ると思い、「ちょっと待っててね」とアタ君を待たせて、舞台の方を振り返った。 すると、大混雑の右手奥の舞台の袖にデニズさんが顔を出し、こちらに向かって手を振るのが見えた。私も右手を高く上げて合図し、「アタ君、小林さん、デニズさんが呼んでる。すぐに舞台に降りよう」と2人を促した。 舞台の隅でデニズさんと久々の挨拶をしていると、そこに、ドドドッと20人近い若い衆が駆け寄って来て、「アービイ、俺達と写真撮らせてください!」と口ぐちに威勢よく言った。 「わかった、でも今日は個々に撮影している時間はないんだ。君達はみんな一緒の集合写真でいいだろう? ほら、ここに日本人のお客さんがいるんだ。どうかはるか遠い国の人に順番を譲ってあげてくれないか」とデニズさんは言った。 彼の言葉は「海難1890」のテヘラン脱出編で、トルコの救援機にはトルコ人を優先して乗せろ、と主張するトルコ人達を説得するカッコいい主人公ムラット青年のセリフにそっくりだった。) 20人近い若い衆はおとなしく説得を聞いて集合写真を撮っただけで場所を空けてくれた。 デニズさんのニコニコ顔。私も自然に嬉しくなります。 若い衆の一団はデニズさんを囲んで1枚写すと、気持ちよく場所を空けてくれた。なかの2人が「あっ、アービイ、あんたエリン・オールに出てる人じゃないかい?」と目ざとく小林さんに気付き、2人は彼とも記念撮影して貰って、がやがや大騒ぎしながら去って行った。 そのあと、デニズさんは私達と個別に写真を撮り、他の数人の頼みにも応じてポーズを取ったあと、私に「部屋で待っているのでご面倒でも外から回って下さい」と言って、部下に急かされて「分かった、分かった」と言いながら地下道に去って行った。 私達はかなり混雑していたコンサート・サロンを出て、長い博物館の入り口まで戻り、そこからまた外に出て中庭の通路をせっせと歩いて一番奥の、つまりコンサート・サロンの隣にあるメフテル棟までやっと到達した。 土曜日なので、もう私服に着替えて帰り道を急ぐメフテル隊員にも幾人も出会った。挨拶を交わしながら進み、デニズさんの部屋へ通じる階段を上り始めると最上段に私服のデニズさんが出迎えに来ていてくれた。 アンカラから戻って幾日でもないのに、明日の日曜日はまた早朝からコンヤへと、それもバスで10時間くらいかかって出張する用事が控えているので、本当はすぐにでも帰宅したいところを、私達に付き合ってくれるデニズさんに感謝して、アタ君を先頭に部屋に入り両袖机の前の椅子に腰かけた。 改めて挨拶をしている間にすぐにチャイが運ばれ、アタ君はiPhoneから自分の3~4歳頃の写真を取り出してデニズさんに見せた。彼は20歳になって、兵役に就いたら軍楽隊に志願するつもりだそうだ。CDに入っている24曲のマーチの歌詞はすべて暗記しているらしい。 小林さんもまだメフテル歴4ヵ月だと言うのに、さすが芸能人、「僕は今日演奏されたビュルビュル・オトゥヨル(鶯は囀る)が大好きなんですよ」と言って、もうデニズさんの前で正確に口ずさんで見せた。 無芸大食の私は、21年も前から聴いていると言うのに、二つ三つを除いては、どの曲が何マーチなのかさっぱり区別がつかないのだが、どの曲も全部好きなのでまあ、いいか。 デニズさんが申し訳なさそうに私に詫びた。彼の携帯電話が不具合で、Facebookのメッセージが来ているのに読めなかったのだそうだ。あとで着信があったことに気付き、慌てて舞台の袖から観客席を見渡したものの、私の姿がなかったので気にしていたと言う。 「加瀬さん、さっきコンサートの時、恐い顔をして私をにらんでいたでしょ」とデニズさんは口をとがらせて眉をしかめ、仏頂面をする私の顔真似をして見せた。演奏中はとても厳しい顔をしているのに、茶目っ気たっぷりな人である。 メフテル棟の将校たちの部屋に通ずる広い廊下で、揃って記念撮影しました。 デニズさんと私達は楽しく語り合い、5時頃、最後に将校達の部屋のある、メフテル棟の広い廊下で、アタテュルクのイエニチェリ姿を背景に記念撮影をし、4人でぶらぶら歩きながら正門まで来て、そこで名残惜しく握手を交わし別れたのだった。 小林さんもアタ君もますますデニズさんのファンとなり、時々はこのメンバーでまた来ようと話し合った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年12月11日 00時05分38秒
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