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カテゴリ:旅に出て人と会う
【12月15日・火曜日】 いつもと全く同じように、何日も前から準備する時間はあったはずなのに、結局は出発間際にあたふたと荷物を詰め込み、頼んでおいたタクシーで、タキシム広場を16時半出発のハヴァタシュ・シャトルバスに乗り継ぎ、アジア側の内陸にあるサビハ・ギョクチェン空港に向かった。飛行機は19時15分発、18時45分までにチェックイン出来れば乗れるはずだ。 サビハ・ギョクチェン空港は、ヨーロッパ側のアタテュルク空港からすると2倍以上の距離があり、タクシーを飛ばしたとすると、コンヤを往復する飛行機代よりもっと高くつくのが分かっているので、私のように自家用車も何もない人はシャトルバスだけが頼りである。 ボスポラス大橋の手前に来たものの、渋滞はどこまで続くやら、遅々として進みません。 ところがいつも心配するように道路が大渋滞、なにしろ、距離的にはいくらでもないのに、ボスポラス海峡の橋を渡り終えるまでに既に1時間かかってしまった。道が混んでいなければ、とっくに空港に到着している時刻である。隣の座席の女性は、18時半出発のアンカラ行きの飛行機を逃してしまった。 それでも彼女は最新のスマホを駆使して、飛行機会社とやり取りし、なんとか1時間後の次のアンカラ行きのチケットを確保した。私には到底出来ない芸当だ。彼女はイスタンブールのこの大渋滞が心底呪わしいわ、と言いながらも、私には「あなたはきっと間に合うわ、大丈夫よ」と、やはり不安を隠しきれない私を慰めてくれた。 飛行機を逃して憤懣やるかたない人、あるいは逃すかもしれないと心配顔の乗客40人余りを乗せたバスは18時35分頃、やっと出発ロビーに到着したので、私もゲート閉鎖にあと10分足らず、慌てて荷物を受け取ると、隣の女性と別れの挨拶をして、駆け足で出発ロビーに入り、セキュリティーを通るのももどかしく、走って走ってやっとアナドルジェットのカウンターに駆け付けたのだった。 チェックインしたはいいが「急いでゲートに行ってください」と言われ、人をかき分けつつ長いウイングを走り、汗びっしょりでようやくゲートに到達したものの、既にラスト・コールも本当に最後の呼び出しをされるところにやっと間に合ったのだった。 チェックイン済みでもまだウイングの端にあるコンヤ行きの314ゲートに到達していない人々のために最後にもう1台、小型のグランドバスが迎えに来て、私のほか12~3人の旅客が、ほうほうの態でそのバスに乗ることになった。 でもまあ、何とか定時にコンヤ行きに乗れることになったので胸をなでおろし、グランドサービス・バスの中で、迎えに来てくれるアブデュラーさんに電話を入れた。 「アブデュラーさん、いまグランドサービスのバスで、飛行機に向かっています。ロタル(遅延)もない様子です。定時に飛び立つので、コンヤ到着は20時30分くらいです」と告げた。すると、 「それはよかった。私も到着より少し前に空港に行っていますが、毎年15日の夜に来るいつものお客さんがあるので、あなたのことは義弟のオウスと私の娘のアルズがお迎えして家にお連れしますから、私の姿が見えなくても心配しないでください」と彼が言った。 最後のグランドサービス・バスが、駐機場の一番端の方にいたアナドルジェット・コンヤ行きのそばに停まった。私達最後の乗客が飛行機に乗り終わると、ほどなくドアを閉めた飛行機はしずしずとバックして誘導路に出た。機内はほぼ満席のようである。 深い霧に包まれているコンヤ空港。でも最新の霧・ガス対応のライトがあるので大丈夫。 やがてほぼ時間どおりコンヤ上空に到達した飛行機は、機長のアナウンスでも知らされた霧の深いコンヤ空港にゆっくり旋回しながら無事20時30分に着陸、私はアブデュラーさんの娘、高校生のアルズちゃんと、アブデュラーさんの義弟(妹の夫)、オウズさんに出迎えられて、メラム区の郊外にある大家族のチャーダッシュ家に迎え入れられたのだった。 私のために夕飯も用意してくれてあり、それを頂いてから私もお土産を披露して、今回はチョコレートやバクラバではなく、男性には全然お土産なしなのだが、まず女性陣5人がブルサ・シルクのスカーフやその他を、イスタンブール土産らしくてデザインがどれもお洒落~、と喜んでくれた。 私もアブデュラーさんの姉さん達から東欧土産を頂き、夜1時過ぎ、アブデュラーさんが仕事を終えて戻り夕食になった。そこでまたいろいろテーブルに並べてくれたので、コンヤの第一夜目はたらふくご馳走になりながら更けて行ったのだった。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年12月24日 06時12分03秒
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