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カテゴリ:メフテル軍楽隊と、コンヤのセマー楽団
【2月3日・水曜日】 今日は1ヵ月半の長期休暇から戻ったメフテル軍楽隊のメティン総務課長と久々の親子デートの約束なので、タクシーを頼み10時頃家を出た。 「お昼を一緒に食べよう」と言ってくれていたのである。 ただ、今回は翌日早く、アナトリア中央部のニーデ市に演奏旅行に出発する予定なので、メフテル棟全体が慌ただしい感じだった。メティンさんの直属の部下の体調が悪く明日から病欠することになり、彼は私の到着と入れ換わりに病院に診断書を貰いに出て行った。 そのため、残ったメティン課長が1人でてんてこ舞いの忙しさとなり、私は気の毒でどうしようかと思っていたところに、海軍から派遣されてメフテル軍楽隊の隊員になっているハリル・イブラヒム(以下イブラヒム)さんが来て、メティン課長から許可を取り、私を1階上の図書室になっている小部屋に案内し、昨年6月に串本のエルトゥールル号慰霊祭に参加し、東京でコンサートを開いた時のメフテル軍楽隊の様子を写した写真やビデオを見せてくれたのだった。 さて、12時15分前、メフテルのプロヴァ(リハーサル)が終わったのが、図書室から見えたので、イブラヒムさんと私はデニズさんの部屋に行くことになった。 この図書室には3人の海軍からの隊員達の席があり、イブラヒムさんは同室の隊員、バハドゥルさんとムラットさんを紹介してくれた。 私は今日、とある日本人に依頼を受けて、一つの企画をデニズさんに相談に来たので、彼と会う約束があった。その企画はまず前日にメティンさんにも話し、今日はイブラヒムさんにもその件について、デニズさんの許可が出たら協力してくれるようにお願いした。 彼も私の書いたメモを見て、「喜んで協力します。その依頼者の方ともぜひ知り合いたいですねえ」と身を乗り出し、その企画がとても楽しみだと言ってくれた。 去年の夏、私は執拗に頼まれてちょっと間違った人をメティンさんやデニズさんに紹介してしまい、その人物から、私のそれまで21年に渡って営々と築いてきたメフテル軍楽隊とのいい関係を壊されそうになり、デニズさんにも嫌な思いをさせてしまったし、自分もひどい目に遭ったので、人間不信に陥ったことがある。 もう二度と人の世話などするものか、と思ったが、今度は依頼者が信頼できる相手なので安心ではあるが、そうしたことを経験したので、慎重に事を進める必要があった。 イブラヒムさんが私を伴いデニズさんに挨拶をしたあと、メティンさんに私がどこにいるかを報告に行ってくれた。デニズさんは私を見ると、ゾウかクジラのような目になって迎え入れ、すぐにチャイを注文してくれた。 その企画を書きつけたメモをデニズさんに差し出すと、彼は声を出してそれを読み、優しい声で、「由美子さん、いやあ、もちろんですとも。全項目、同意します。いくらでもご協力しますよ」と満面に笑みを浮かべて応じてくれたのだった。 そこにメティンさんが迎えに来たので、デニズさんも略帽を被り3人で部屋を出て、将校会館に食事に行くため廊下を歩いていたら、ムラット中佐付きの兵卒が追いかけて来た。中佐が外出から戻れないので、部屋にいてほしいとの連絡が入ったようである。 「エイワ~、残念。加瀬ハヌム、私はここに残らなくてはなりません。行ってらっしゃい、またあとで会いましょう」とデニズさんは眉をしかめた。 かくて私は、メティンさんと1階出口で待っていた縫製部のトゥーバさんと一緒に食事をし、メティンさんにご馳走になってまたメフテル棟に戻り、1時間ばかり外出することにした。美由紀さんにフードプロセッサーを届けに行くのである。 1時半に特別に裏門(南門)から出して貰い、近くのカフェに急いだ。彼女が何を作るのか、出来てからのお楽しみ、私達はチャイを飲み、ちょっとお喋りしてチャイは彼女が払ってくれたので、2時15分席を立った。 カフェの隣のSGK(社会保険事務所)のオフィスにオメル係長を訪ねると留守で、会議があって別な地区のオフィスに行っているとのこと。 夕方早く出られたら寄るつもりになって、また南門から入れて貰い、軍事博物館に戻った。去年の夏、あれほど何度も訪れたのに、一度も南側に回ったことがなかった博物館の、オスマン朝時代から残る荘厳な建物をしみじみと見ることが出来た。 それに庭の片隅に青空の雫と私が名付けている、青い可憐な花、オオイヌノフグリも既に咲いているのが見つかった。 まだ草むらに小さなつぼみをつけたばかり。幾つかが開いていました。 その日のコンサートもまたびっくり仰天、子供達の校外授業が、学校の休み中なのできっと空いている、と思ったら、とんでもない、超満員なので座る席がない。最上段に1席だけが空いていたところにセダット警備隊長が呼んでくれたのでそこに座った。 隣に映写室があるため、そこに座ると視界が悪いのでみんなが敬遠する席だ。でも立ったままだと荷物もあるし、カメラをしっかり構えられないので、そこに座った。 私が裏門から来たので、それほどたくさんの人々が入館していたのを知らなかったのである。またまた望遠レンズを最大にして撮るしかなく、落ち着かないコンサート観賞だった。 会場はものすごい混雑、いよいよチョルバジュ・バシュが登場しました。 今日は水曜日だったので、2時からコンサート・サロンの下の追悼式場で、シェヒット(戦死者)の追悼式が行われ、あとでわかったのだが、特にメディアに公開されて幾人か、合同の追悼式典だったため、たくさんの軍関係者やシェヒットの遺族達がコンサートにも招待されていたのだった。 それに、新しく任務に着いた義務兵役の若者がたくさんおり、彼らの見学日だったのが分かった。 コンサートが終了し、場内アナウンスで記念撮影が出来ます、と放送されると、500席の階段式観客席から200人くらいの人数が、どどど、と舞台に下りて行ってごった返し、ものすごい騒ぎ。 将校達も大勢来ていたので、デニズさんも一旦引っ込んだ後、また出て来て記念撮影に加わっている。忙しそうなので私ももう、メティンさんやデニズさんの部屋に戻るのは止めて帰ることにした。 コンサートの最後に、チョルバジュ・バシュが恭しく最後の礼をします。 コンサート・サロンを出たところにあるメフテル・カフェでチャイを取り、不慣れな携帯からのメッセージを書き、メティンさん、デニズさん、イブラヒムさんの3人にそれぞれ別々に書いて、今日の協力への礼を述べた。皆さんが忙しいことが分かっているのでこれで帰ります、と書いたのだった。 そして軍事博物館を後にし、SGKのオフィスに急いだが、一足違いでオメルさんは帰ってしまった後だった。タクシーに乗り、最近忙し過ぎて食べに行く時間のない、チュクルジュマのうちの近くのイーイト・ギョズレメ店に行ってみた。 朝のうちに見たFacebookのお知らせで、セラップさんの誕生日だと言うのを見たので、帰りに寄ってお祝いを言おう、と思ったからである。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年02月07日 19時15分36秒
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