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madamkaseのトルコ行進曲

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2016年02月04日
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【2月3日・水曜日】


 3年前、デニズ軍楽隊長と知り合う前までは、私は、メフテル軍楽隊の構成員(隊員)について詳しく知らなかった。全員陸軍の軍人だと思っていた。ところがその後、メフテル軍楽隊は数の上でこそ圧倒的に陸軍所属の軍人が多いが、海軍からも、空軍からも一定の人数が派遣されているのが分かったのである。

 その他、シヴィル・メムル(文人職員)と言って、軍人ではないが軍楽隊の専任職員として、メフテル軍楽隊の各パートの教育を担当しているために、隊員から「ホジャ(先生)」と呼ばれる人々がたくさんいることも分かってきた。私が1994年に日本に行く飛行機の中で12時間ずっと語り合った人々はこのホジャ達で、人事異動がないため、当時の知り合いがたくさん残っていたわけである。

 ホジャ達の多くはコンサートでは「チェヴゲン」という鈴付きの錫状を肩に担いでコーラス部隊として登場する。ほかのパートに出演している人もいる。メフテル軍楽隊員になると、自分の専門パートばかりではなく、ホジャ達によって、一通りどの楽器も出来るように訓練されるのだそうだ。

 それに、メフテル軍楽隊の隊員になる軍人・シヴィル・メムルの殆どはアンカラにあるトルコ軍のコンセルヴァトワール(音楽学院)で厳格な教育を受けた人か、民間人であっても専門的に音楽家としての道を歩んでいた人々ばかりで、かっこいいなあと自薦・他薦で簡単に軍楽隊に入隊出来るわけではない。

 週2日休みで、1日1回20分の演奏が仕事だ、と聞いたら「いいご身分なんですね」と思いがちだが、午前中はみっちりと全員でリハーサル、午後もコンサートに出る前までパート別にリハーサル、コンサート後は自由時間だが、入隊したばかりの人々は個々に練習を積む必要がある。切磋琢磨の日々なのである。

cevgen1  
チェヴゲン達は、全員が金モールの1本入った赤いコート、リーダーは帽子の
周囲にもモールが入っています。リーダーのほかには9~11人のメンバーです。

cevgen2  
チェヴゲン続き。曲によっては、ソロの素晴らしい声を聞くことが出来ます。
チェヴゲンは、どの人も鍛え抜かれたテノールやバリトンの歌手なのです。

zurnazenler  
ズルナ(木管楽器)を吹くズルナゼン達。リーダーのみが赤いコートに金モール、
その他のズルナゼンは紺の制服を着ています。これは他のパートでも同じです。

bolzenler  
ボル(金管楽器)を吹くボルゼン達。トロンボーンに似ていますが伸縮しません。
ズルナと同じようにリーダーのほかに4人のボルゼンが紺の制服で演奏します。



 コンサートでの選曲は、たくさんのレパートリーから6~7曲(20分~25分くらい)、朝のリハーサル時に指揮者のメフテル・バシュから知らされるが、突然変更になっても、全員即演奏が出来る態勢になっている。曲によってはズルナのリーダーやボルゼンのリーダーが、素晴らしいソロを聴かせてくれることもあるので、そういう曲に遭遇したらちょっとラッキー。これはチェヴゲンの項でも書いたが、朗々たるテノールなんか聴けたら嬉しい。


nakkalezenler  
打楽器は二連の小大鼓ナッカーレを演奏するナッカーレゼン達です。
菜箸のような、細い撥で叩きますが、その左手の動きは神技のよう。
この日(2月3日)のリーダーは古参ホジャのムサさんの出演でした。

zirzenler  
ジル(シンバル)は、合いの手にジルを打ち合わせて敵を威嚇する、
トルコが発祥地と言われる打楽器です。ジルゼン達がいないと演奏は
さびしいものになります。戦闘場面の再現では強烈、迫力満点です。

ダブルジュ  
ダブル(中大鼓)を叩くダブルゼン、強い音響で敵前急襲の効果満点です。
衝撃も強く太鼓の横腹に巻かれた布のモールがほつれやすいのだそうです。

koszen
キョスゼン(大太鼓奏者): イルハミさん 

sera 
キョスゼン(大太鼓奏者): シェラフェッティンさん


 キョスゼンは一人パートなのだが、見るたびに思うのは、たいへんな重労働であると言うこと!
孤独なれど、華やかな見せ場の多い仕事、職人技と言うに相応しい感動的な演技が見られ、彼らは舞台上でただ一人しかいなくても帽子にリーダーのしるしの金モールが入っている。

 コンサートに登場する、鎖帷子の兵士や、オスマン軍の大・中・小の錫杖や、赤、白、緑の3本の旗を捧げ持つ、妖怪一反木綿風なフェルトの長い帽子を被った兵士、パレードの先頭としんがりにいる赤い服の歩兵、などは、義務兵役で軍楽隊に配属された若者達が担当している。軍隊では髭を蓄えることが禁止なのだが、メフテル軍楽隊の隊員は逆に生やさないといけないため、彼らはコンサートの都度つけ髭で登場する。

hohei1  
華やかなパレードには欠かせない、色鮮やかな兵士達のコスチューム
メフテルの赤い旗は国家、白い旗はどこにも従属しない自由、緑の旗はイスラームのしるし

hohei  
1年の兵役がもうじき終わろうとする頃、この若者達の胸に去来する
想いは何だろう、文化の担い手の一人として、誇り高く思ってほしい。



 メフテル軍楽隊は、現在でこそオスマン朝時代の軍楽隊を再現し伝承する役割を果たしているので、有事に敵を威嚇するため前線に立つ、ということはないが、軍隊としてはメフテラン(メフテルの複数形)・ボリューウと呼ばれる、陸軍大佐を頂点とする中隊編成の一部隊である。

 アルバイ(大佐)はコンサートでの役割はなく司令官として別棟の執務室にいるので、メフテル軍楽隊の最高司令はヤルバイ(中佐)で、コンサートではクジャクの羽をあしらった大きな帽子のチョルバジュ・バシュのコスチュームで登場する。太い太刀を佩き、コンサートの冒頭と終了時に挨拶をする。現在ムラット中佐がこの任にある。

 それに次ぐのがメフテル・バシュ(軍楽隊長)で、現在ビンバシュ(少佐)のデニズさんが指揮を取っている。ムラットさんもデニズさんもコンセルヴァトワールの出身である。

murat yarbay  
ムラット・ヤルバイ(チョルバジュ・バシュ)、メフテル軍楽隊の総大将。
赤いコートには3条の金モール、金糸の刺繍が入った濃紺のズボンを穿いています。

deniz binbasi  
デニズ・ビンバシュはメフテル・バシュとして、常に指揮棒を振ります。
この指揮棒は「アーサー」といい、てっぺんの金属製飾りがやや重いです。
コートに2条の金モール、帽子にも金モールと大きな宝石がついています。


 コンサートに出る隊員で、スバイ(将校)はこの2人で、あとの隊員の多くはアスバイ(下士官)であり、スバイ・アスバイ達はだいたい5年ごとに昇格したり、人事異動で別な任地へ転属になるので、100人を超す隊員は毎年少しずつ入れ換わっているのだった。


 私がいつもブログに書いているメティンさんは事務職。アスバイの中でもう、それ以上の称号の付けようがない最高位の軍人であり、メフテル軍楽隊の人事・福利厚生などの総務を掌っているため、その権限は軍楽隊のナンバー3であり、2006年からその任にあって職務に精通し、大所帯のメフテル軍楽隊の実務面を1人で取り仕切っているのだった。

 メフテル軍楽隊が外国や国内の地方に演奏旅行に行くと、その間、開館日であろうとコンサートが長期に渡って実施されなくなり、国内外のツーリストや愛好者達から長年に渡り、不評を買っていた。

 総務課長に就任してからこの改善を考えて奔走、ついに10年後定員の30パーセント増を実現して、留守番メフテル軍楽隊を設置、コンサートは閉館日(月・火)以外、無休で演奏されることになった。下はそのデビューの日、メティンさんはこんな風に部下達を激励したのだった。

metinsan  
アンカラに出張のメフテル本隊のムラット中佐と電話で打ち合わせ。
部下には内緒でメティンさんがチョルバジュ・バシュ姿になって、
留守部隊を祝福しよう、という計画です。(本当は別な人がいる)

metin  
メフテル留守部隊デビューの日、この実現の立役者メティンさんが
日頃のくそまじめさを振り払い、茶目っ気たっぷりに恰好だけして、
隊員の前に躍り出るパフォーマンス。ちょっと可愛いおじさんです。


 私が1995年にイスタンブールに引っ越してきてほどなく、前の年に日本へ飛行機で一緒に旅をして親しくなったメフテル軍楽隊のハッサン・ホジャ(チェヴゲン・バシュ)を訪ねて、当時のメフテル・バシュ、ウール大尉と知り合い、トルコ語学校で学ぶ傍ら、日本に行ったメンバー達と旧交を温めに毎月のように1~2度通っていたのである。

 ウールさんはいまアルバイ(大佐)で、アダナの方にいると言う。ハッサン・ホジャは残念ながら定年退職してからほどなく逝去してしまったので、もう会うことはできないが、私の生涯忘れ得ぬ人である。


 
 私がもう一つ望みたいのは、時により、入場者数が3千人にも膨れ上がることになり、せっかく演奏日(水曜日~日曜日、週5日)に来ても、コンサート会場のキャパシティをはるかに超える聴衆が集まって、結局は入場口でシャットアウトされてしまうときがあると言うことだ。

 去年、せっかくメフテルの人員を30パーセントくらい増員して、本隊が留守のとき、コンサートは留守部隊が演奏し来場者をがっかりさせることがなくなっても、観客が入りきれないのでは何もならない。

 日に2度公演が可能であるかないか、いろいろなスケジュールの都合もあろうが、可能な限り実現して貰えないだろうか。

 演奏そのものは20分程度なので、たとえば午前中1回、午後1回、それが次第に周知徹底されれば、空いている午前中に行こう、とかやっぱり午後からだ、とか出かける予定の人も見当がつくのではないだろうか。


 入場券も高くはないが、ちょくちょく来たい人には回数券を発行するとか、アスケリ・ミュゼ・カルトを発行するとかいろいろサービスの手はあると思う。ついついそんな風に、ああでもない、こうでもない、と考える。今年もやっぱりメフテル・フェチで暮らす日々になりそうだ。







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madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房)




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Last updated  2016年02月09日 18時23分20秒
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