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カテゴリ:旅に出て人と会う
【12月5日・月曜日】 午後3時半、チュクルジュマのガラタサライ・タクシーから車を呼び、タキシム広場の北にあるエルマダー交差点の、ハヴァビュス乗り場に駆け付けると、あと3分で出発すると言う、サビハ・ギョクチェン空港行きのバスに間に合った。2席空きがある、と言うところに乗り込むことが出来、私のすぐ後にもう1人乗ったので、バスは時刻表通り3時45分には満席となって出発したのだった。 昨年の10月、シワスに飛んだときは、同じサビハ・ギョクチェン空港行き、4時出発予定のバスが、空席が多いからと4時30分に延発となり、途中の道路が大渋滞で、6時半にやっと空港に到着、多くの人が乗る予定の飛行機に乗り遅れ、私もシワス行きのラストコールの最後でやっと搭乗口に駆け付ける始末だった。 そこで用心して4時の出発にはどうしても間に合うように、と考えていたのだが、順調過ぎて全然道路の渋滞もなく、1時間後の4時45分にはサビハ・ギョクチェン空港についてしまったのだった。私の飛行機は午後7時20分発なので、2時間35分も空港で待つことになった。おまけに搭乗は順調に終わったのに、離陸命令がいつまでも出なかったため、30分遅れて出発、コンヤ到着も遅れてしまったのだった。 サビハ・ギョクチェン空港の207番ブリッジで搭乗を待っています。 乗ってきた飛行機。エルジンジャン号という愛称がついています。 コンヤで荷物を受け出し、ハヴァッシュという会社のシャトル・サービスでコンヤの中心地にあるアヌットと呼ばれているアタテュルクの銅像前が終点であり、出迎えに来てくれたユジェルさんと無事に出会うことが出来た。 いつも私はフィナーレの17日か16日のセマー儀式を見に来て、そのあと幾日か滞在してきたのだが、今年は、7日のシェビィ・アルースの開会式の日に、イスタンブールから招待されたメフテル軍楽隊が、セマーゼンや市民達の先頭に立って、メヴラーナ・ブルヴァルを練り歩くところを見たいと思っていたのが実現することになった。 ユジェルさんにチケットを買っておいて貰い、宿もメヴラーナ博物館に眼と鼻の先にある便利なホテルを予約して貰ったのである。バスを降りた後は彼がキャリーボックスを引いてくれた。 「お腹空いていませんか、加瀬さん」 サビハ・ギョクチェン空港であまりにも長い待ち時間だったので、私は売店でパンを一つ買って食べたし、機内でケーキと飲み物を貰ったので空腹と言うほどではなかったが、温かいバーミヤ・チョルバス(オクラのスープ)が飲みたい、と言うと、彼は近くのスープ専門店に案内してくれた。 そこで2人とも別々なスープを注文したのだが、店員が間違えてエゾゲリン・チョルバスを持って来た。確かめもせずに手をつけたら間違ったものが来たことが分かった。でもそれもたいそう美味しかったので、そのままいただき、スープを頼むとパンがおまけについてくるので、それだけでも一食になるのだった。 エゾゲリン・チョルバスはレンズマメのスープの一種。手が混んでいて美味しい。 これはユジェルさんがご馳走してくれたので有難くいただき、タクシーでホテルに行った。コンヤに行くようになって13年以上も経つので、そのホテルの名前はかなり前から知っていたが泊まるのは初めてだった。 夜11時過ぎまでロビーでユジェルさんと話をし、明日の6日は、私が朝10時にメヴラーナ博物館内の廟にお参りに行き、そのあと11時頃から、セマーの総帥であるポストニシン様、ファフリ・オズチャクルさんを訪問することになっている。 12時を過ぎたらファフリさんのところを暇乞いして、コンヤに住む3人の日本女性と私が、コンヤ・エトゥリ・エクメッキでお昼に女子会を開く約束になっている。 女子会が4時か5時でお開きの後、ユジェルさんの日本語の生徒である若い医師夫妻と夕食を共にするため、今度はユジェルさんが私をホテルに迎えに来ると言うスケジュールなのだった。 11時半頃、ユジェルさんが帰り、私は部屋に引き揚げた。朝の3時頃からずっと起きていたのでさすがに眠くなり、広いベッドに横たわると、あとあといろいろなことが胸に去来し、今度は寝付かれなくなった。しかし、今年も何とかシェビィ・アルースのコンヤに来られたことで、充分幸せな気分になれたのが嬉しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年12月14日 22時34分43秒
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