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madamkaseのトルコ行進曲

madamkaseのトルコ行進曲

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2017年02月19日
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【2月19日・日曜日】


 夕方のカドゥキョイ行きは、金角湾の入り口にあるカラキョイからも、旧市街のエミニョニュからもしげしげと出航しているが、ウスキュダルと並ぶアジア側の大きな港町で、人口も多く、活気のある街である。

 アタテュルク初代大統領の統治時代、ウスキュダルはとてもモダンな町で、フランス映画に出て来るような、長い髪とスカートをなびかせた女性達が闊歩している古い写真を見たことがあるが、それが当時のウスキュダルの標準的風俗だったらしい。

 カドゥキョイももちろん同じようだったが、最近の風俗はウスキュダルでは、今風な身なりに高々と髪をてっぺんに盛り上げて、ピッチリと二重になったスカーフで覆った女性が闊歩しているし、中年以上の女性はアナトリアの昔ながらの頬かむり風なスカーフ(ヤズマ)で巻いたおばさんがほとんどである。

 両者の雰囲気がかなり違うと言うか、ラマザン中の昼日中でも店先でビールを飲んでいる自由な人々がたくさんいるカドゥキョイは、それはそれで面白く、でもどちらも連絡船で渡りやすいので、かつては実によく小さな船旅をしたものだった。時には、料金をもう1人分払って、ビクターも乗せてヨーロッパ~アジアの往復を楽しんだこともあった。

motor  
23年前の1994年に4カ月滞在した時、一人でウスキュダルに渡ることを覚え、
こんな風にチャイを飲みながら、ヨーロッパとアジアを往復する醍醐味を覚えました。



 そんな雰囲気を叔子さんにも味わってほしい、と上部甲板に作りつけられたベンチ席に座って、ともにチャイを味わった。彼女のわくわくしている様子が伝わって来る。20分ほどでカドゥキョイに接岸したモトールから降りて、私達は船着き場の近くからチャルシュ(商店街)を時計回りに一回りするレトロなチンチン電車カドゥキョイ・トラムワイの停留所に向かった。

 レトロなチンチン電車なら新市街のイスティクラール通りのものが有名だが、あいにく修復工事と言うことで、1月からだと思われるが、一部の線路がすっかりコンクリートで覆われ、タキシム広場の西側に巨大なジャーミイが建造されるのと引き替えに廃止になる、という噂も聞いているので、イスティクラール通りの目玉スポットであるものがまた一つ消えていくのかもしれない。

 その代わりに叔子さんをカドゥキョイ・トラムワイに案内したのだが、待てど暮らせど電車は来る気配がなく、路面にある線路に下りて奥の方を見て見ると、1台の車が線路の上に駐車したまま、運転者がロックしてどこかに行ってしまっており、道路が混雑しているので、レッカー車を呼んで撤去することも出来ないでいるのだった。

 30分以上待ってようやく電車が動き出した。車の主が戻ってきたらしい。やっと乗って始発駅を動き出した1両だけのワゴンは、街の中心街のあるきつい坂をゆっくりと登って行く。

tram2  
トラムは停留所のはるか手前で立ち往生の様子です。

tram3  
やっとトラムワイに乗れましたが、前方は車、車、車。イスティクラール通りのように
歩行者天国ではないので、一般車両線路内立ち入り禁止と言うわけにいかないらしい。

tramvay  
トラムの内部はこんなふう。子連れや年寄り専門みたいな時もあります。


 次の停留所で降りる人が私を手招きして座らせてくれたので助かった。カドゥキョイ・トラムワイは、イスティクラール通りのものよりもっとレトロっぽくて、ごとごととたいそう揺れるので、つり革につかまっていても楽ではない。坂道を上りきると左側にカドゥキョイのシンボル、ボア(雄牛)の像を見ながら、トラムのコースは大きく右に曲がって、高台にあるバフリイェ通りに入る。

 バフリイェ通りをしばらく走っているうちはそう渋滞もなかったものの、やがてまた船着き場の方角に曲がって坂道を下り、ちょうど楕円形に時計回りで一回りして、先ほどワゴンが動けなくなった地点に近づくと、やっぱりもっと渋滞している道路でまた動けなくなった。

 おそらく車両の流れを考えていない道路設計のミスなのだろうが、トラムの線路を普通の車道と、右折用、左折用の交差点が塞いでいるので、混雑時には当たり前のようにトラム自体が身動き出来なくなってしまうのである。

 ましてや、線路のすぐ脇に駐車されると、乗用車のように位置を変えることの出来ないチンチン電車はどうしようもなくなる。今度もやかましい音楽を最大ボリュームでかけまくっている車が歩道との間に駐車していて、そのせいで動けないでいると、後ろでドカン、と大きな音がしてワゴンがぐらりと揺れた。後ろの交差点で左折しようとした車が、ワゴンの後ろに追突したのである。

tram4  
右に見える白い車のせいで進めません。線路の前はガラ空きなのに右隣りの車が線路の
上にはみ出して駐車、この大馬鹿野郎のせいで、前に進めない上に追突までされました。

tram2  
追突されたトラムワイ。とにかく大渋滞の中です。 

tram5  
動けないトラムワイから降ろして貰い、私達はチャルシュまで歩きました。
それにしてもここの運転士さん、さぞかしストレスが溜まることでしょう。



 運転士が降りて車の主と話し合いに行ったが、車はバンパーがやや凹み、ワゴンの方はどうせあちこちこすられたりぶつけられたりして傷だらけなので、両者は暗黙の了解で事故届はしないことになったらしい。ここに交通警官を呼んだら、もっと長時間動けなくなるのは、火を見るよりも明らかである。

 運転士が戻って来たとき目が合ったので「ゲチミッシュ・オルスン」と言うと、首をすくめて「ネ・ヤパルム(何かやれることあるかい)?」と苦笑いし、ようやく動けるようになったので、私達もあと少しだけ乗って、停留所に着く前に降ろして貰った。


 そのあと、いよいよ坂道に位置するチャルシュに上って行きながら、トルコ・コーヒーのカフェが連続してずらっと並ぶ通り、魚市場、野菜市場などの通りを見て歩き、あとで入るつもりの魚レストランに、テーブルを予約してからまた魚市場の続きを見に行った。

 叔子さんが留守中猫の世話を頼んだ友人に蜂蜜をお土産に買い、その先の乾物屋では香草のケキッキ(オレガノ)の束や、シムシルという木の枝から作るスプーンなども買い、下の通りに下りて、十字路の真ん中にある、カドゥキョイの由来などを書いた大理石と、小さなワニの彫刻を見てから、7時過ぎになるとさすがにお腹も空いてきたので、レストランに戻った。

tabela  

「ポントスの河口にメガラ人達によって築かれた町カルケドンと、村である
クリソポリスと、カルケドン人達の神殿があり、海より少し内陸には、
中に小さなワニ達が飼育されている湧水池がある。」
ストラボン(古代ローマの地理・歴史学者 BC63~AD21)
『地理書』第12巻、アナトリアに関する記述より

meze  
前菜のラケルダ、茄子のサラダ、タコの脚のオリーブオイル漬け


 実は叔子さんには、紹介したい友達があとで顔を出す、と説明しておいたので、私もその友達が到着するのを、時計を見ながら待っていたのだった。友達も仕事が終わったらアジア側に戻って来るので、先に食べていましょう、と二つ三つ、メゼ(前菜)を頼み、水の大壜を取り寄せ、やがて8時少し前、レストランの場所を問い合わせる電話が入ったので、ガルソンに説明して貰っていたら、ほどなく到着したのだった。

 「私の友達と言う人」が入ってくるのを見た叔子さんが「え~っ、あらあら、どうしてえ~!?」と驚きの声をあげ、大きな瞳を見開いた。

「ユジェルさん、どうしてイスタンブールにいるんですか!」

 私が紹介する、と言った友達とは、去年のコンヤ滞在の時に、もと鎧の護衛兵A君と交互に、あるいは週末の休日には2人が一緒に、叔子さんを日本庭園やら、アラエッディンの丘に案内した日本語ガイドのユジェルさんだったのである。

 彼は2月13日からイスタンブールに上級ランクのガイド研修を受けるためにコンヤから出て来ていて、その最終日が本日19日、6時半頃終了するので、うまく行けば叔子さんにもお引き合わせ出来るかもしれない。しかし、世の中私の計画通りドンピシャリに事が運ぶ保証はないので、当日まで口がむずむずするのを抑えて、サプライズを狙い叔子さんには黙って、アジア側で一人紹介したい友達がいる、とだけ話していたのである。

 叔子さんはユジェルさんの人柄を高く評価していて「彼は信仰心も厚く、信頼のおける人ですね。コンヤでは、本当にお世話になりました。またお会いしたいけど、今回はコンヤに行く時間がありませんし・・・」と残念そうだったが、叔子さんのトルコ訪問とぴったり日程が合うときに、ユジェルさんのガイドの研修がイスタンブールで実施されるなんて、と私自身もびっくりしたのだった。

 ユジェルさんがイスタンブールに来ているので、会えるかもしれません、と言っておきながら、都合がつかず会えないことが分かったら私もがっかりだし、むしろ黙っていれば、もし会えなくても何も問題ない、と判断したので、この突然の出現には、叔子さんをびっくりさせることにはなったが、あとがたいそう愉快に盛りあがった。

balik yemekler  
ムール貝と、メズギットのフリッターと、ニンジンの煮物のヨーグルト和え

yoshiko
話が弾んで時間の経つのも忘れるくらい。私もユジェルさんに会えて嬉しい。
叔子さんも「これは元はと言えば鎧のA君のお陰ですね」と喜んでくれました。


 かくてこの店は対岸だと言うこともあってそう頻繁に訪れることは出来ないが、顔なじみのガルソン達がよくしてくれるので、たいそう楽しく歓談することが出来、みんながそれぞれハッピーに過ごすことが出来て、私も満足だった。

 帰りはタキシム広場へ直行のドルムシュで海峡を渡り、広場ですぐにタクシーが拾えたので、ホテルに送りそのままわが家に直行して、かなり雨が降り出して来ていたが、全然濡れることもなく、11時半にはわが家にも帰り着いた。

bogaz koprusu  
帰りは雨、ボスポラス大橋の赤くライトアップされたゲートをくぐりました。
(この橋は「7月15日・戦没者と戦傷者達の橋」と改名されています)


 外の猫には、手提げ袋にあらかじめ500gのキャットフードと懐中電灯を入れてきたので、家に入る前に配ってやった。遅くなってごめんね~、と言いながら。うちの猫達にも一番上等な缶詰を開けてやった。もうもう、大騒ぎでわき目もふらず、僅か数分で、餌皿をきれいになめて残さず食べた。

 大急ぎで着替えて猫の砂箱を掃除しながら、今日一日を振り返る。良い友のいること、それをたいそう幸せに感じられることが、以前より多くなったような気がする。私、まだまだ大丈夫だな、と疲れよりも幸せを享受している自分に満足した。

 






   かに座さそり座いて座
かに座さそり座いて座



madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房)




猫猫「チュクルジュマ猫会」猫猫




海泡石のパイプやアクセサリーと、「宮古島月桃」の買える店

ピンクハート  アントニーナ・アウグスタ  緑ハート黄ハート














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Last updated  2017年03月06日 06時32分01秒
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