東京行脚、そして西条道彦先生
【4月6日・金曜日】 今日は東京方面でたくさんの人と出会う予定である。私が最初に朝風呂に入るために、娘の入浴時間が少し削られるので、彼女は朝食を取らずに出勤する。私は、腹が減っては戦の出来ないたちなのでしっかりと昨日の残りの鴨の照り焼きなどを温めてご飯を食べた。 鴨の照り焼き、チキンから揚げ(前日ご馳走になったものの残り)数の子、かに足、明太子、白菜漬物、豆腐の味噌汁、なめ茸 おおたかの森駅まで娘と一緒に車で行き、つくばエキスプレスで隣の隣、南流山駅で別れた。朝、従妹のはっちゃん(ハティジェ)宅に寄り、一緒に東京まで行くことになったのだった。 ハティジェは2005年にトルコ旅行に来た時に、私が呼ぶはっちゃんという響きがハティジェと言う女性名の愛称、ハッジェに似ているところから、トルコ人にハティジェと言う名をつけて貰ったのだった。 彼女は赤い車で駅まで迎えに来て一旦家まで案内し、お茶を入れてくれたあと、改まって母の墓参りをしてくれて本当にありがとう、と深々と頭を下げた。 11時半に新宿駅の西口交番前で私の友人、出沼博子さん、香取きよ子さんと待ち合わせ、4人で地下街の一角にある日本そば屋でお昼を食べた。2人は三十年も前から一度は紹介したいと思っていた私のそれぞれの時代の無二の親友で、やっとその日がやってきたのだった。 私の隣、出沼さん、右手前香取さん、奥ハティジェ そばと桜エビ丼のセット、美味、ボリュームたっぷり、限定20食とか。 ところが私は自分が呼び出しておいたくせに、午後から訪問する場所との打ち合わせのため、電話をかけたりかかってきたり、カフェで何度も中座してしまった。 ゆっくり話せず申し訳ないことをしてしまった。2時を少し回った頃2人と別れて、私はハティジェが考えてくれた最短距離のコースで九段の新宿書房を訪問した。 出沼さん、香取さん、ありがとう、ご馳走様でした。 村山社長は来訪を喜んでくれた。小著「犬と三日月 イスタンブールの7年」は発売後ちょうど10年、細々と売れているので、絶版にもせず面倒を見てくれている。そして10年前に私に注文してくれた2冊の著作についてはまだ取り消しにしないでいてくれたのだった。 近くのカフェでレモネードをご馳走になり、話をしているうちに4時となり、社長には次の来客があるので私とハティジェも暇乞いして次の目的地、六本木の日本脚本家連盟のオフィスに向かった。 そこで私は6時に常任講師の西条道彦先生に面会を申し込んでおいたのだった。思えば四半世紀以上も前、同連盟の生徒募集の小さな新聞広告の切り抜きを頼りに六本木に初めてやってきた私。公認された機関の文章講座に入門して、自分のレベルを知りたいと志したのである。 毎週別な講師の授業を受けて12週間後、基礎の講座を終了すると数人の先生の専門的なゼミに進むことが出来る。私は迷わず西条道彦先生のフリーライター・ゼミを希望したのだった。 先生は当時もうすでに現役の脚本家を引退、後進の指導に精を出しておられたが、私が20代30代だった頃のテレビでは、毎週のようにどこかの局で先生のシナリオによるドラマが放送されていて、その名はつとに知れ渡っていた。 私にとって西条先生との出会いは運命的なもので、その後50歳を過ぎた年齢で異国に渡り、最初は徒手空拳の身で世間に翻弄されながらも、人生をやり直す勇気を持ち続けられたのも、先生からその当時受けた指導と激励のたまものなのである。 六本木に着いた時はまだ少し早かったので,ハティジェと有名なカフェ「アマンド」でお茶を飲んで時間を潰したのち、再び脚本家連盟の事務所にお邪魔した。 6時過ぎに事務所に来られた先生は思いもよらず杖をついていて、昨年自宅で転倒、骨折などして半年も入院生活を送ったそうで、最近やっと講座を再開したばかりだよ、と言われた。 いつか先生の愛弟子だった証にご期待に添えるだけの物を書きますね、と言うと、先生はちょっとほほ笑みを浮かべ、無言で頷いてくれた。 先生がトルコ人なら「インシャーラー!」とすかさず答えて私をガックリさせるかもしれないが、そこは日本人同士、私は心の中で誓いを新たにしながら名残惜しい先生のもとを辞去したのだった。 いつの日か、2冊目3冊目を携えて先生を訪問出来たら・・・トルコ書道の最上段は「Yazar =作家」、アンテプの銅製皿にお名前を。 その次に会う約束の人は、もとトルコ駐在日本大使夫人阿部元子さんと、私も娘もトルコに来たばかりの頃、たいそうお世話になった柳沢久氏(「犬と三日月」では緑川守氏)夫人の正子さんで、麻布警察署の前という、気の利かない場所を指定した頭の悪い私のせいで、急に冷え込んだ薄暮の警察署の前の寒いところでお待たせしてしまった。 阿部さんは私が日本に行く数日前に、コンヤのセマーゼン・グループが訪日、東京と仙台でセマーの公演をしたことから、セマーゼンについて娘にいくつかの質問をされ、その頃到着した私が娘に替わってセマーについてお答えしたので、お礼に、と夕食に誘ってくださったのである。 週末の六本木は大混雑、空席のある店を、と探している時、V子から電話が来て、中野区阿佐ヶ谷にあるトルコレストラン「イズミル」に行っていてほしい、と連絡があった。その店はエリフさんというトルコ女性が経営しており、日本に移住したのち、長年の苦労が実って今はとても繁盛しているのだそうだ。 そう言えば昼間、新宿書房の社長も家族でときどき食べに行っている、とても美味しい店があるんですよ、と話していたのがそのイズミルで、阿部さんや柳沢さんもお馴染みらしい。お2人の案内でハティジェと私はイズミルに連れて行って貰った。お店は小さいが満席で、やっと4人分空けて貰い、娘と会社の上司が来るのを先に食べながら待つことになった。 その日も残業になったようで、娘達がやってきたのももう9時半を過ぎていた。なんとみぞれが降っているという。どうりで夕方から恐ろしく冷え込んだわけである。 一番奥の大テーブルにいたグループが帰ったのでそちらに移ってやっと全員が顔を合わせた頃には、帰りの心配をしなければならなくなった。上司のアイシェギュルさんとは昨年イスタンブールでお会いしているのでもうお馴染み、みんなで和気あいあいと過ごせたのも一時間足らずだった。 やがて阿部さん、柳沢さんと一緒に娘達より一足早く店を出て、つくばエキスプレスに乗るために秋葉原に向かった。お2人とはいつの日かまたゆっくりお会いしましょう、と約束し途中で別れた。 阿部さん、柳沢さん、ありがとうございました。 私はハティジェに荷物を持って貰い、秋葉原から座って行けるように1台見送り、終電の二つ前の電車に乗った。 ハティジェは泊まって行かないか、と勧めてくれたが、次の日はまた都内まで出るし、そこで会う人達への土産を持ってきていないので家に帰ると答えて、南流山駅で別れた。 ハティジェ、今日はまる一日付き合ってくれてありがとう。 さて、娘に言われた通り、おおたかの森ショッピング・センターの駐車場出口は、閉店後も月極めで駐車契約をしている人達のために、終電の少しあとまで店内を通って行かれるように廊下に明かりをつけてくれてあった。 娘から電話が来て、終電に乗るので到着は午前1時近くなるとのこと。誰もいないショッピング・センターの廊下の隅で、革張りのベンチに腰をおろして待っているのも心細いことだった。 真ん前の店がゲーム・センターで、真っ暗な中にドラエモンの大きな人形があった。家のタマオはどうしているかしら、京子さんがよく面倒を見てくれるので心配はしていないのだが、ふと猫達のことを思ってなおしんみりしてしまった。 警備員さんが通りかかって私をちらと見たが、会釈したら黙って行ってしまった。長い長い時間が経過したような気がした。 やがて、コツコツとヒールの音がして娘が現れた。幸いこのショッピング・センターのおかげで危険な目に遭うことはないにしても、ご苦労なことだ、とV子に同情した。 明日は土曜日でもV子は仕事で、2~3年前に埼玉県の越谷市に出来た「レイク・タウン」というショッピング・センターでトルコ・フェアのメイン・イベントが開催されるのでそちらに出勤するのだそうだ。 私の方はお昼に京橋で、世田谷区立旭小学校昭和30年度卒業の6年3組のクラス会に行くという、私なりのメイン・イベント級お楽しみがあった。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房)