振袖・母親・コメディアン
【3月24日・月曜日】 日曜日の午後、何時になるかはわからないが、エージェンシーから着物を借りに来るというので家で待機していた。 番組の中で「マキコ」の結婚式に両親が花嫁衣裳と婿殿の着物・羽織・袴を持ってきたという設定があるため、先日来、衣裳担当のエリフ嬢は頭を抱えてしまっていた。 なんとか協力したいと思い、たまたま私の手元に、朱の地に揚羽蝶や菊の花などを散らした華やかな大振袖があるので、これを貸してもいいですよ、とエリフ嬢に言ったのである。 4時頃、運転手のアリさんがジハンギルまで受け取りに来た。 本日は午後2時から夜8時頃までかかって、劇中の経営者夫婦とマキコ夫婦の、合同結婚式の模様が撮影された。 マキコの花嫁姿は赤い振袖なので、ちょうどお色直しのようになったが、面長で色白、すらりとした高野あゆみさんの着物姿を見ると、誰もが「お、お~」と目を瞠った。 朱色の大振袖(モデルは別な人です) 放送ではほんの10秒くらいだろうが、父親と花嫁の入場のシーンがあり、白い蝶タイに黒のダブルを着た父親と腕を組んでバージンロードを進むマキコ(あゆみさん)の姿を見て演技抜きに本当に涙ぐんでしまった。 偶然なのだが、今は亡き私の母親の名はマキといい、私とは似ても似つかぬ細面の美人で、28歳で再婚したとき、さすが振袖ではなく留袖だったが、錆朱の濃淡に花を散らした着物と洋髪(こんな言葉、もうないか)で、披露宴から戻ってきた姿が60年近く過ぎた今でも、脳裏に鮮やかに蘇る。 私は当時8歳だったが、家に居残りを命じられていた。まあ、連れ子が披露宴に出席したんじゃいくら何でもまずいやね。26歳の婿殿は初婚だったし・・・ 今日の撮影中に、私にはとても嬉しいことがあった。トルコでいま、最も売れている映画の主演俳優で、若手コメディアンのシャーハン・ギョクバカルさんが先輩メフメット・アリさんのセットを訪問、休憩時に彼の座っている前を通り過ぎるとき「メルハバ」と言ったら「やあ、メルハバ、私を覚えていますか!」と向こうから握手を求められたのだ。 2004年の11月に、ドッキリ・カメラ風に通りがかりの人を捕まえて5つの質問をし、正解には1問について20,000,000トルコリラ(今の20YTL)の賞金をくれるという新手のクイズ番組で、それとは知らず骨董屋の主人に扮したこのシャーハンさんと、やり取りがあったのだ。 この一部始終は隠しカメラが捉えていて、骨董屋の若主人役の彼の行動をいぶかしんでいる私の顔のド・アップまで撮られていた。 質問は例えば、「第1次世界大戦後、モルドバに定住したキリスト教徒のトルコ人をなんと言うか」(正解=ガガウス・トゥルク)だとか、「新聞や雑誌の発行部数は何と言うか(正解=tiraj ティラージュ・フランス語)」 そんなの知るか、私は日本人のおばさんだぞ、と言うような質問もあって、正解はやっと2問、40,000,000TLを獲得した。(デノミ実施以前だった) でもまだ仕掛けられたことを知らない私は彼がポケットから取り出して私に渡そうとして、ピラピラ振っているお札2枚を見て聞いた。「ブ、ネ(これ、何)?」「ブ、ネ?」彼が大音声で鸚鵡返しに言った。「イエシル・アタテュルク(緑色のアタテュルク)」と私が答える。「ハヌム・エフェンディ、これはクイズ番組で、あなたは5問中2問正解されましたので、あっという間に40,000,000トルコリラを稼いだわけです。おめでとう!」緑のアタテュルク=20YTL札(もとは20,000,000TL) この番組の司会者に抜擢され、大成功した彼には引き合いが殺到し、その後新聞に大きくインタビューが載っていた。 Q「笑わないことが売りですが、今までに笑いたくて困ったことはありますか」 A「ええ、Zokaというクイズ番組で、1人の日本女性に賞金を渡そうとしてもまだ事態が飲み込めていない。これは何ですか、と聞くので、私もこれは何ですか、と言ったら、緑色のアタテュルク、と答えたんですよ。思わず笑い出しそうになって堪えるのに苦労しました」(当時の2千万トルコリラ札と現在の20YTL札は緑色をしている。もちろん肖像は初代大統領のアタテュルクである)「またお逢いできて嬉しいです」と言うと、彼も「私もですよ!」と握手した手をがっちりともう一度握り締めてくれた。「その後、どうしていらっしゃるのですか」とシャーハンさん。「ええ、去年はメヴラーナの紹介本を日本語に訳したのが完成しました」「ほう、メヴラーナ! そう言えば、あなたには本もありましたね。新聞で読みましたよ」 私はシャーハンさんに名刺を渡し、「またお目にかかれたら幸いです」と言い添えた。「もちろんです。また会いましょうね」と彼はにこやかに答え、周囲の人々に3年余り前の私との出会いを説明したのだった。 シャーハンさんと掛け合い漫才でもやる役が回ってこないかな。とても礼儀正しいお兄さんだったので嬉しい。私はこの1件を、家に帰るや否や、娘の携帯電話にメールで知らせたのだった。ヤプラック・ドキュムュのあらすじ第51話まではこちらから たいへんお待たせしましたが、第61話から、第66話までの更新が出来ました。第52話、53話、54話 第55話、56話第57話、58話第59話、60話第61話、62話、63話第64話、65話第66話madamkaseのトルコ本「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房)