3日連続断水、ガス台を買いに
【12月9日・日曜日】 7日金曜日はアフメットさんが手伝いに来てソファー・ベッドをプレゼントしてくれたが、夕方から前日6日同様断水になってしまった。 昨日8日の土曜日は、チェティンさんが10日ぶりに日本語の勉強をしに来ることになっていたので、昼までにコーディネート関係の書類を完成させ、昼食の支度をして彼を待った。 チェティンさんが到着すると同時に、オスマンを呼んで、2人に重く古いチェキヤットを捨てに行って貰ったが、家を出る前に念のためにシートを上げてみたらマヤちゃんが飛び出してきた。 よかった~、そのまま捨てに行ってしまわないで・・・ぼろぼろになって捨てるなんてごめんね、14年間働いてきてくれてありがとう、チェキヤット君。 シュウマイを蒸している間に191センチの長身チェティンさんに、台所のカーテンを外して置いて貰い、食べている間に洗濯機にかけておいた。彼なら椅子に乗るだけ、梯子は要らないのだった。 蒸したて熱々のシュウマイと、野菜炒め、ほうれん草のおひたし、松茸の吸い物(インスタント)を出すとチェティンさんは去年の11月から12月にかけて2週間ほど日本に行ったことがあるので、「うわー、加瀬さん、日本のご飯が懐かしいで~す」とふざけて泣きまねまでして喜んだ。 チェティンさん、大喜び。日本ではうな重すら食べたのだそうだ。 シュウマイもこのところ何度も作ったのでさらに美味しく出来ました。 食後、汚れた食器を台所に運び、洗う前に絞り上がったカーテンを吊るしてしまおうとチェティンさんに頼み、自分は流しに立った。 ところが・・・ あああああ、水が出な~~いっ! 何と3日連続の断水なのだった。それでもカーテンだけは綺麗にすることが出来た。仕方なく食器はそのままにして、チェティンさんと外に出ることにした。 私は9月と10月に医療通訳をして手に入れたお金で、念願のオジャック(ガス台)を買いたいと思っていたので、台所用品は近いところで買った方が何かあったときにいいと思い、ボアズケセン通りに下りて、トルコ第一の家電メーカーである「arçelikアルチェリッキ」の代理店に行ってみた。 8月の下旬、友人のミホコさんと一緒にこの店を覗いたとき、目をつけた品は4つのコンロがついた標準型で、300TL(当時のレートで13,044円)だった。 ところが、それから3ヵ月余りしか経っていないと言うのに、同じものがもう354TL(最近のレートで16,465円)に値上がりしていて、予定が少々狂った。 更に表面が白い琺瑯ではなく、ステンレスの高品質なオジャックが入荷していて、それは何と424TL(19,720円)もした。 しかし、見た目にもしっかりとしている上に、鍋などを外した後、火を消すのを忘れても、数分すると何も載っていないのをセンサーが感知、自動的に消火するのだそうだ。 それはいいが、鍋を外したのに火を消し忘れる、というより、鍋を火にかけたことを忘れてしまい、パソコンや電話に熱中して煮もの茹でものを焦がしてしまう私のようなユーザーには全然役に立たないので、そんなに高いものを買うこともないか、と思わせられた。 しかし、どうせもう、あと何回オジャックを買い替えるチャンスが来るだろうか、と考えると、今まで使っていた安物でさえ13年も持ちこたえてくれたのだから、今度買うものも大事に使えばそれ以上持つかもしれないのだし、たまにはいいものを買った方が安心のような気がして、ついにそれを買うことに決めた。 値引き交渉など不得手な私に代わり、チェティンさんがオーナーに交渉してくれた。「月賦ではなく、全額一括現金払いだといくらにしてくれますか」「395TLにしましょう」「このご婦人はチュクルジュマ通りに住んでいます。コムシュ(ご近所、隣人)みたいなものです。これから先もお宅で買い物をする機会があると思います。もう少し協力してあげて下さいませんか」「うむ、それなら385までお引きしましょう」 ちょっと気難しげにも見えるオーナーが即座に言ったとたん、チェティンさんは財布から200リラ札を出し、「加瀬さん、残りをあなたが払ってください」と言った。「えっ、そんなわけにはいかないわ」「いきます、いきます」とメティンさんはもう財布をしまい、立ち上がった。 私は残りのお金を出して売買契約書にサインし、オーナーは即座に領収書を切って、月曜日の朝一番に取り付けの職人を送ると約束してくれた。 店を出たあと、私はチェティンさんとトプハーネに下りて、トラムワイとフィニキュレルを乗り継いでタキシム広場に出ることにした。広場の渋滞は11月1日から工事が始まって以来目に余るものがある。 タキシム広場は言うに及ばず、イスティクラール通りでも、タルラバシュ大通りとスラセルビレル通りを結ぶ道が全面的に掘り起こされてしまっており、週末で大混雑のイスティクラール通りが工事でぷっつりと寸断されているのだった。 普通、こういう賑やかな通りは半分ずつ掘り起こすのじゃないのか? あるいは鉄板とか敷いて人間だけは通してもいいのじゃないか? 歩行者はもう、うんざりしながらそれでも仕方なく遠回りする。私達もアイスクリームのMADOに行くのに、その工事現場の横をはるばる下ってタルラバシュ大通りの一つ手前の道から迂回せざるを得なかった。 通行人風情がどう遠回りしようとも屁とも思わぬ市役所の態度が見え見えである。 タキシム広場の工事では、広場の向かい側にあるタリマーネというホテル街に通じる交差点を塞いでしまって、歩行者はタキシム公園を大回りして1キロくらい先のエルマダー交差点まで歩かなければタリマーネ地区に入ることが出来なくしてしまったのだ。 タキシム広場の工事は1年も続くので、市民のブーイングはすさまじく、このほどやっとタキシム広場からタリマーネに臨時の歩道橋を拵えたのだった。「遅いんだよ、何をやっても」と腹を立てながらも、市民はタキシム広場が歩行者天国になり、やがて新しくドでかいジャーミィ(モスク)まで出現するらしい噂にも悄然と従って、歩道橋を渡って行くのである。 さて、イスティクラール通りの工事はそれほど長くはかからないらしいが、正月に迂回せず歩けるだろうか。かくてやっとたどり着いたMADOの屋上で、ティラミスのケーキ付でチャイをご馳走になり、家の前まで送って貰った。 おしゃれなティラミスとアイスクリームのセット チャイのセットもしゃれている。 途中で銀行のATMからお金を下ろそうとしたら、チェティンさんは私を制して、下ろさせなかった。「加瀬さん、加瀬さんにはいつも難しい日本語を説明して貰っているので、あれは授業料だと思ってください」「・・・それならありがたく頂くわね、でも私が、新しいソファー・ベッドがアフメットさんからの贈り物だと言ったので、あなたもお金を出さざるを得なくなったのだったら悪いと思って・・・」「とんでもない。私が教えて貰っていることは、そんな額では足りないくらいなんです。来週いっぱいくらい、私はツアーがないので休みです。もし必要があれば呼んでください。いくらでもお手伝いします」 私は友達に恵まれた最高に幸せな老年期を迎えようとしている。満ち足りた思いと膨らんだお腹を抱えて家に入ると、断水は終わったようで即座に水が出た。 この勢い良くほとばしる水ですら、幸せでなくしてなんだろう。人はどんなことでも、幸せと思えば幸せで、不幸と思えばまぎれもなく不幸なのである。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」