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カテゴリ:きのこポエム24音詩への道
京都嵯峨野の落柿舎のほとりにコイヌノエフデほどの石くれ1ツのみポッチリ。囲っていなければ、墓石だと分からないほどのものだ。 僕は「去来抄」の大ファンだが、この墓石にはうっとりしてしまう。 金福寺の蕪村の墓に比べるとなんと清楚な感じすら漂っている。 これが向井去来ちゃんの墓だ。
このでかいだけが取り柄の墓石には蕪村ちゃんもブスッと閉口しているだろうが、墓とかなんとかもすべて残されたもののためだから、蕪村の弟子が、この威圧するような墓石を望んだのだろう。死者がつべこべ言うことではないか。ましてや赤の他人の僕はなおのこと。 ただ墓石はどうあれ、僕は蕪村という男の生きざまには惚れています。 思春期前後までに晩年を迎えたもの特有のアンニュイ(倦怠)がなんとも言えません。 江戸中期の宝暦から天明にかけての田沼時代の江戸期2度目のバブルが幸いして、かろうじて生き永らえた感すらあります(そうです。彼は、奥の細道の行脚の途中くらいで野垂れ死にしていても何の不思議もなかった青年時代を送っています)が、結構長生きして、いろいろ恥もかき、良い目にもあい、風姿花伝に言うところの「まことの花」を見事に演じ終えてとんずらしたところなど、あっぱれ至極と思っています。そんな町絵師(今でいうところの看板屋さん)の真実を言葉にできないかなと思っています。 その前に節だらけの人生で今更、節目がどうのこうのと言うつもりはないのですが、時節的にこれが最後と思われる親父のことを太平洋戦争実録のような形でまとめておきたいと思っています。それも過去のことではなく明日への架け橋とするためにキノコを絡めティ・ジェーンで・・・。これはなんとしても、この19日の旧正月までに仕上げて、本年中に形にするぞ!!!。 口にすれば、言掛けといって実現するのは古代ではごくあたりまえのことでした。逆に口にしなければ、どんな真心もなきがごとしです。ユーミンも「欲しいものは欲しいと言った方が勝ち」って言ってましたよね。 またそれに更に絡めて、きのこポエムもそろそろNEXT STAGEへと思ってますが、どうも、こちらも、どちらも、小生の能力不足がたたってなかなかパッと行きません。 しかし、毎年、節目、節目といっていれば、伏目の人もむくむくムックきのこ状態になるやもしれませんので、言い続けることにいたします。 今日は画伯から借りた縄文の石笛や土笛、尺八、など古楽器がわんさか出てくるとても面白い「天籟地響」を聴きながら、去来ちゃんの墓に詣でた時の印象と心に去来するものをメモっておくことにいたします。
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最終更新日
2015年02月16日 18時46分36秒
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