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カテゴリ:きのこポエム24音詩への道
大阪天満宮も受験子のメッカだが、山門脇に西山宗因庵跡の碑がある。彼は、天満宮の連歌師として赴任して、連歌の指導をするかたわら、庶民の文芸としての俳諧の自由さに注目し、この詩的乾坤の普及振興を図っていく。それに呼応するように登場した人物が井原西鶴だった。 宗因、西鶴の浪花俳諧と蕉門の其角、嵐雪の江戸座俳諧は、列島の東西の都市生活者特有の俳諧の流れを生み出し、機知・諧謔に富んだ作風で一世を風靡し、蕪村やその周辺の俳諧師たちは芭蕉に帰れとは言いつつも、芭蕉の田舎くさい作風とは相いれない、其・嵐の流れにつながることに無上の喜びを感じていた風がある。
いつの時代でもそうだが、その良し悪しは別にして都会派と田舎派という気風の違いといったものだけは環境が作り上げた生理的なものであるだけに否定しきれないものがある。 俳諧も俳句も、定型詩でありながら不定型でありつづけることでかろうじて成りたっている詩型なのだ。5・7・5にちょこなんと納まりきってあぐらをかいているような俳句世界とは本来無縁でありたいものだ。
篆刻作家の池上博子さんが作ってくださった印章 そんな気持ちを持った人たちがちらほら集まってきて「夜の顔不思議な俳句会」も、とても盛況になってきて、従来の教室では参加者があふれる勢いだ。これにはリニューアルしてから5年余り、60数回の会の動向をそれぞれの作品に参考資料を添えて実に克明に記録してくれているSさんの努力によるものが大きい。 「親はなくても子は育つ」とはよく言ったもので、当会は蕪村流の合評のみで言いたい放題言うだけのものなのだが、先生は一人もいないにもかかわらず、生まれてはじめて短詩を作った人たちが、一年もするとけっして「らしく」はない、独自の作風を示すようになるのも驚きである。
終電に近い列車の中で折々の句会の様子をふりかえると、会員たちの顔がいつしか、かって須磨水族館で見かけたサカサクラゲみたいだなと思い返して一人笑いしています。 それはどういう意味かと聞かれてもわかりませんが、サカサクラゲは、いつもあべこべ(写真上)なのです。なぜかふと思っただけですから、ご想像にまかせます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年01月29日 22時32分20秒
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